<日常>むかしばなし
もうずっと昔のはなし。
そのころ、僕はまだ大学生で、夏休みを実家で漫然と過ごしていた。とても暑い夏だった。テレビでは連日、観測史上~位といった最高気温が報じられていた。
その夏の後半、僕には特に何の予定もなかったので、一人で旅に出ることにした。といっても、わずか数日の、ごく短いものだ。
青春18きっぷを片手に、僕は電車でひたすら西へ向かった。車中では暇つぶしにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読んでいた。この小説は脱線が多く、ナポレオン戦争での地形の話や、パリの地下下水道がいかに複雑怪奇なつくりになっているかといったことが延々と論じられる。どちらかといえば、物語を楽しむというよりも、我慢大会的な書物だが、長い移動時間を潰すにはちょうどいい。
とりあえずは萩で電車を降りる。さすがにもう夕方になっていたので、ユースホステルに宿をとった。
翌日は朝から自転車で萩の街をうろうろする。最初に訪れた萩城跡は、ちょっとした山になっていた。山頂まで上り、さらに雑草の茂みをかきわけて行くと、萩の街が一望できる場所があった。
そこから、萩の街や、その上に広がる見事に晴れ上がった空をしばらく眺めていた。生い茂る木の葉とその向こうに見える空の鮮烈なコントラストに驚く。
近くには中学か高校があって、吹奏楽部が練習しているのか聞こえた。そのとき、僕は高校時代に吹奏楽をやっていたという知人の女性のことを思い出した。別につきあっていたわけでもないし、単なる友人でしかなかったのだが、高校時代の彼女を僕は知らないし、絶対に出会うことはできないことが少し悲しく思えた。
そのあと、松蔭神社や笠山などをまわったが、行った先々でずっと東京でのことを考えていた。ひょっとしたら、僕は萩には全然関心がなくて、東京や実家から単に逃げ出してみたかっただけなのかもしれない。そのせいか、東京でのことばかり考えていた。どうにもうまくいかない人間関係や、何の特技も、何の取り柄もない自分、見当もつかない将来。ずっと自転車に乗っていたせいで、手の甲だけがただ日に焼けていった。
萩での滞在を終えて、次の目的地に向かうべく駅まで歩いていた。途中、3歳か4歳ぐらいの男の子とそのお母さんがキャッチボールをしているところに出くわした。男の子の投げるボールはいろいろなところに飛んでいき、お母さんはうまくキャッチすることができない。何度もボールを拾いにいくお母さんの姿を男の子はやや不満気に眺めている。その二人の姿は、当時の僕には眩しすぎるほど美しかった。
この旅で別に僕は何かを見つけられたわけじゃなかった。旅を終えて実家に帰り、さらには下宿に戻ったあとも、悶々とした日々が続いた。
それから長い年月が流れて、僕はいい歳をしたおじさんになった。ぱっとしない研究者にもなり、ぱっとしない授業やぱっとしない論文の執筆のために時間だけがただ過ぎていく。
それでも、夏を迎えるたびに、萩で見たあの木の葉の向こうの空と、キャッチボールをしていた母子の姿を思い出す。たぶん、それがぱっとしない僕の、ぱっとしない原点なんだろう。
そのころ、僕はまだ大学生で、夏休みを実家で漫然と過ごしていた。とても暑い夏だった。テレビでは連日、観測史上~位といった最高気温が報じられていた。
その夏の後半、僕には特に何の予定もなかったので、一人で旅に出ることにした。といっても、わずか数日の、ごく短いものだ。
青春18きっぷを片手に、僕は電車でひたすら西へ向かった。車中では暇つぶしにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読んでいた。この小説は脱線が多く、ナポレオン戦争での地形の話や、パリの地下下水道がいかに複雑怪奇なつくりになっているかといったことが延々と論じられる。どちらかといえば、物語を楽しむというよりも、我慢大会的な書物だが、長い移動時間を潰すにはちょうどいい。
とりあえずは萩で電車を降りる。さすがにもう夕方になっていたので、ユースホステルに宿をとった。
翌日は朝から自転車で萩の街をうろうろする。最初に訪れた萩城跡は、ちょっとした山になっていた。山頂まで上り、さらに雑草の茂みをかきわけて行くと、萩の街が一望できる場所があった。
そこから、萩の街や、その上に広がる見事に晴れ上がった空をしばらく眺めていた。生い茂る木の葉とその向こうに見える空の鮮烈なコントラストに驚く。
近くには中学か高校があって、吹奏楽部が練習しているのか聞こえた。そのとき、僕は高校時代に吹奏楽をやっていたという知人の女性のことを思い出した。別につきあっていたわけでもないし、単なる友人でしかなかったのだが、高校時代の彼女を僕は知らないし、絶対に出会うことはできないことが少し悲しく思えた。
そのあと、松蔭神社や笠山などをまわったが、行った先々でずっと東京でのことを考えていた。ひょっとしたら、僕は萩には全然関心がなくて、東京や実家から単に逃げ出してみたかっただけなのかもしれない。そのせいか、東京でのことばかり考えていた。どうにもうまくいかない人間関係や、何の特技も、何の取り柄もない自分、見当もつかない将来。ずっと自転車に乗っていたせいで、手の甲だけがただ日に焼けていった。
萩での滞在を終えて、次の目的地に向かうべく駅まで歩いていた。途中、3歳か4歳ぐらいの男の子とそのお母さんがキャッチボールをしているところに出くわした。男の子の投げるボールはいろいろなところに飛んでいき、お母さんはうまくキャッチすることができない。何度もボールを拾いにいくお母さんの姿を男の子はやや不満気に眺めている。その二人の姿は、当時の僕には眩しすぎるほど美しかった。
この旅で別に僕は何かを見つけられたわけじゃなかった。旅を終えて実家に帰り、さらには下宿に戻ったあとも、悶々とした日々が続いた。
それから長い年月が流れて、僕はいい歳をしたおじさんになった。ぱっとしない研究者にもなり、ぱっとしない授業やぱっとしない論文の執筆のために時間だけがただ過ぎていく。
それでも、夏を迎えるたびに、萩で見たあの木の葉の向こうの空と、キャッチボールをしていた母子の姿を思い出す。たぶん、それがぱっとしない僕の、ぱっとしない原点なんだろう。
by seutaro | 2009-08-12 02:00 | 日常