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<政治・社会>左翼とナショナリズム

 気づけばもう3月。僕にとっては憂鬱な季節の始まりである。これから2ヶ月近く、僕は外出中は常にマスクを着用しなくてはならない。そう、僕は花粉症(スギおよびヒノキ)なのだ。
とはいえ、花粉症を患ってすでに20年近く。それなりに対処法は心得ている。たとえば、マスクは使い捨ての蛇腹のものを毎日取り替えて使う。このほうが高級なマスクを長く使うよりもずっと良いように思う。
 ただ、この蛇腹のマスク、問題がないわけではない。暖かいところから急に温度が低いところに出たとき、マスクから眼鏡に向かって流れる息によって眼鏡が結露してしまうのである。ひどいときには、眼鏡が完全に曇ってしまい、全くもって前が見えなくなる。というか、完全に結露した眼鏡をかけたマスクの男が歩いてきたら、それだけでかなり不気味ではなかろうかと心配になる今日このごろである。
 さて、前置き(?)はこれぐらいにして、今日の本題「左翼とナショナリズム」である。一般に、左翼とナショナリズムとは相性が悪いように思われている。左翼といえば「地球市民」志向であるとされ、2ちゃんねるなどでは、「反日サヨク」などという表現を目にしないことのほうが珍しいぐらいである。
 しかし、左翼とナショナリズムとの相性が悪くなったのは、そう昔の話ではない。正確に言えば、戦後の長きにわたって、左翼は「反国家」ではあったかもしれないが、「反国民」ではなかったのである。すなわち、「国民国家(nation-state)」としての日本において、国家に対抗しつつ国民のために戦う、というのが左翼の基本姿勢であった。
 事実、磯田光一『戦後史の空間』でも、左翼の側が積極的に「民族」や「国民」という言葉を用いていたことへの驚きが表明されている(p.147)。また、六〇年安保闘争の記録である日高六郎編『1960年5月19日』を紐解けば、以下のような記述が見られる(p.16)。

「国民とは国民たろうとする人民だ」。また「国の方向をつくり出していく人民だ」。そうだとすれば、ここで様々な形で―沈黙の監視を含めた―運動に参加した人々こそ「国民」ではないか。政府と国家機構の外で、自ら日本の政治の方向づけを行う「被治者」は、自分が権利の上で国家よりも先にあるものとしての「国民」であることを知りかつ示した。
 さらに、この本にはいくつか写真が掲載されているのだが、その中の一枚には割烹着を着たおばさんが「日本人ならぼくらの列に入れ 警官諸君」という警察官への安保闘争参加を呼びかけたビラと一緒に移っている。
 こうした左翼の側のナショナリズムについて、詳細な分析を行ったのが、小熊英二『民主と愛国』である。小熊は、戦後において民主主義と愛国心とが共存しえた時期があったことを膨大な資料をもとに極めて説得的なかたちで描き出している。
 ただし、左翼とナショナリズムとの相性が悪いと想定される根拠は確かに存在する。左翼のバイブルであり続けたマルクス・エンゲルス『共産党宣言』には、次のような一節がある(大内・向坂訳、p.65)。

…共産主義者に対して、祖国を、国民性を放棄しようとする、という非難が加えられている。労働者は祖国をもたない。かれらのもっていないものを、かれらから奪うことはできない。
 「万国のプロレタリア団結せよ!」で結ばれるこの文書の通り、左翼の運動は「インターナショナル」として組織され、左翼青年が歌うものとしては「インターナショナル」の歌が定番であったという。このような国際主義とナショナリズムとの矛盾を見出すことは確かに可能だろう。
 ところが、高名な社会科学者であった高島善哉は、この記述について次のように述べている(『民族と階級』p.65)。
「労働者が祖国を持たない」というのは、プロレタリアには祖国はいらないという意味ではない。またプロレタリアは祖国を持つべきではないという意味ではありえない。さらにまた、プロレタリアは来るべき社会主義体制の下では祖国を持たなくなるであろうという意味でもない。『宣言』の著者たちがここで述べているのは、資本主義体制の現段階においてプロレタリアは祖国を失っている、あるいは奪われているという事実であるにすぎない。
 無論、こうした高島のマルクス解釈が左翼の間で広く共有されていたかどうかは疑わしい。けれども、磯田や小熊が言うように、多くの左翼は自分たちの思想と愛国心とが矛盾するとは考えていなかったように思われる。
 さらに言えば、戦後リベラルの代表者たる丸山真男にしても、ナショナリズムを否定していたわけではない。丸山は戦前日本の「ウルトラ・ナショナリズム」に対して極めて否定的であったが、それはそうした思想が「国民的解放の原理と訣別」し、帝国主義との癒着を生じさせたからであった(『現代政治の思想と行動』p.160)。丸山は同族意識に基づく閉鎖的な伝統的ナショナリズムを破壊し、近代的なナショナリズムを生み出すことで日本に民主主義は根づくと考えていた。この点については、以下の記述が参考になろう(p.168)。
「デモクラシー」が高尚な理論や有難い説教である間は、それは依然として舶来品であり、ナショナリズムとの内面的結合は望むべくもない。それが達成されるためには、やや奇矯な表現ではあるが、ナショナリズムの合理化と比例してデモクラシーの非合理化が行われねばならぬ。
 さらに、佐藤卓己によれば、丸山は戦前型のナショナリズムを「国家主義」と訳し、民主主義と結びつくような近代的ナショナリズムを「国民主義」と訳し分けることにより、後者を救い出そうとしていたのだという(佐藤「訳者解説・あとがき」p.236(モッセ『大衆の国民化』に所収))。
 以上のように、戦後の左翼・リベラルにとって、ナショナリズムは多くの場合、否定すべきものではなかった。それではなぜ、左翼・リベラルとナショナリズムとの訣別が生じたのだろうか。次回のエントリでは、その辺りの事情について論じたいと思う。

  by seutaro | 2006-03-04 02:14 | 政治・社会

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