<政治・社会>近代化論とナショナリズム批判

 ひさびさにいい肉のすき焼きを食べたら、胃がもたれること、もたれること。脂がのってる分、胃への負担も大きいようですな。たくさん肉を食べられなくなってきたのは、やっぱり老いてきたということなのであろうか・・・。
 さて、今日は前回のエントリの続きである。前回、左翼やリベラルとナショナリズムとの相性は必ずしも悪いものではなかったことを述べてきた。ところが、80年代から90年代にかけて、それらの陣営においてナショナリズム批判が盛んに行われるようになる。そこには、いかなる理由が存在していたのだろうか。
 ここで注目したいのは、いわゆる「近代化論」と呼ばれる学問の流れである。近代化論とは、1950年代から1960年代にかけて、次々に独立を遂げていった旧植民地の国々をいかに近代化させ、欧米的な国民国家形成を実現していくのかを論じていた学問分野であり、とりわけ米国の社会科学には極めて大きな影響を及ぼしたと言われる。
 米国において近代化論がそれほどまでに影響力を持った背景には、冷戦という当時の時代背景が存在した。つまり、途上国に対するソ連の影響力を食い止め、欧米的な国家を作り上げることこそが近代化論の最も重要な使命なのであった。
 従って、米国においては近代化論は国家のイデオロギーとしての色彩を強く有していた。しかし、こうした近代化論の日本への移入の中心となったのは、むしろ反体制的なリベラルな知識人たちだったように思われる(左翼は近代化論には批判的であった)。そして、日本での課題は無論、近代化論を通じて日本の前近代性をいかに克服し、欧米的な国民国家を形成するのかということであった。
 ところが、1960年代の後半に入ると、近代化論は急速にその影響力を低下させていく。その背景には、途上国の近代化がうまくいっていないことが徐々に明らかになっていったということがあった。先進国と途上国との経済格差が広がりを見せるようになり、近代化論を否定する形で従属論や文化帝国主義論などが唱えられるようになる。
 さらに、途上国で民族紛争が頻発したことは、国民形成の暴力性を如実に示すことになった。多くの民族や部族が暮らす途上国における国民国家形成の試みは、多くの場合、支配的な権力を握る多数派民族による少数民族への弾圧・迫害を生じさせることになり、場合によっては内戦にまで発展することになった。
 しかも、1960年代から1970年代にかけては、先進国の内部においても「国民国家」モデルの妥当性が疑われる事態が発生した。それは、米国の公民権運動に代表されるマイノリティの異議申し立て運動であった。つまり、国民国家形成が完了したと思われていた先進国においてすら、エスニック・マイノリティの問題が存在していることが明らかになったのである。
 これらの事態を背景に、それまでは所与とされてきた「国民国家の形成」という目標の妥当性自体が疑問視されるようになる。つまり、多様な人びとを「国民」というカテゴリーに無理やり押し込めることによって、様々な抑圧や暴力が発生しうることが強く認識されるようになったのである。そうした潮流のなかで注目を浴びるようになったのが、ポスト・コロニアルという研究の流れである。
 ポスト・コロニアルとは、植民地支配や国民国家の論理のもとで、抑圧され、自ら語る機会を奪われていた人びと(少数民族、とりわけその中でも女性)の声を拾い上げようという営みである。言わば、それまでは発するべき声を奪われてきた人々の観点から歴史や社会認識を再構成しようとする試みだと言いうる。こうしたポスト・コロニアリズムは、1980~90年代にかけて噴出する「国民国家批判」において重要な役割を果たすことになった。
 なお、日本においては、おそらく上述のものとは別の理由において「近代化論」は影響力を減じていくことになる。その理由とは、日本の急速な経済成長である。高度経済成長により、経済大国化していくなか、日本の「前近代性」を批判の対象とする研究が支持を失うのは時間の問題であったと言える。たとえば、青木保『「日本文化論」の変容』によれば、日本が経済成長によって、「日本文化論」の論調もまた大きく変わっていったのだという。つまり、戦後直後には極めて否定的に論じられていた「日本文化」が、徐々に肯定的に論じられるようになり、やがては「日本文化」の優秀性を説き、それを海外に輸出する必要性を説く論説すら現れるようになった。
 このようにリベラルの「近代化論」はその勢いを減じていくことになったが、近代化論に否定的だった左翼勢力もまたその力を失っていく。内部分裂や内ゲバ、過激派によるテロなど、運動と世論との乖離は大きくなる一方であり、労働運動の停滞も明らかになっていった。
 そうした中、「近代化」や「労働者」などに代わり、リベラルや左翼にとっての重要なキーワードとなったのが「市民運動」や「マイノリティ」であった。「市民運動」について言えば、労働運動のような強固な組織に支えられることのない、自立した市民による自発的な運動であり、「マイノリティ」は、これまでは「国民国家」の論理のもとで不可視とされていた差別構造を暴き出す存在だとされた。そして、この「市民運動」であれ、「マイノリティ」の運動であれ、重要なのは、それが物質的な価値というよりも、価値観やアイデンティティといった精神的な価値を追求する運動だとされたという点である。
 従って、これらの運動による批判の対象は、物質的な富の分配に関係する資本主義システムというよりも、価値観やアイデンティティをより強く規定するもの、つまり「国民」というカテゴリーであり、それを前提として成り立つ「国民国家」であった。ここで、左翼やリベラルの多くは、権力装置としての国家のみならず、「国民」というカテゴリーが生じさせる暴力性と対決する道を選ぶことになる。
 以上、いい加減長くなってきたので、今回はここら辺で終わる。次回のエントリでは、今回書ききれなかったポイントについて、いくつか論じておきたいと思う。
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  by seutaro | 2006-03-05 02:41 | 政治・社会

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