<政治・社会>ポスト・コロニアリズムの限界

 前回のエントリでは、1980年代から1990年代にかけて、国民国家批判が高まってきたことを論じた。その背景には、僕が前回で述べたように近代化論の挫折やポスト・コロニアリズムの潮流の高まりといったことがあった。が、保守系の言論人が指摘するように、ソ連の崩壊により資本主義批判の拠り所をなくした左翼が、仕方なしにその批判の矛先を国民国家に向けるにようなったとの指摘が妥当する部分もあっただろう。
 さて、この国民国家批判であるが、その批判の理由となったのは、「国民」というカテゴリーが日本社会の様々な多様性を覆い隠す一方で、少数者に対する差別意識や排他的意識を醸成する可能性が存在するからである。
 こうした考え方は、「東京なんぼのもんじゃい」という大阪で生まれ育った僕には、非常になじみ易いものであった。つまり、たかだか「東京弁」に過ぎない言葉遣いがなぜか「標準語」と見なされてしまうことに反発を覚える雰囲気がそこには存在していたのである。
 ところが、ポスト・コロニアリズムは、「国民」内部の多様性に目を向けるというよりも、「国民」というカテゴリーが排除された人びとに焦点を当てていたように思う。つまり、エスニシティ、人種、女性といった「弱者」に研究者の目は向けられることになったと言えよう。
だめだ、眠すぎる。。。今日はもう寝よう。。。。

 
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  by seutaro | 2006-03-07 02:02 | 政治・社会

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