<政治・社会>ポジショニングの問題

 さて、堅苦しい話にまた戻る。
 前々回のエントリで、ポストコロニアルの話の途中では、眠たくなって挫折してしまった。ともあれ、前々回の要点は、ポストコロニアル的な思想が、「国民」というカテゴリーから排除されたマイノリティの人々に目を向けたということだった。日本の文脈で言えば、ポストコロニアル的なスタンスに立つ研究者は、沖縄やアイヌ、在日韓国・朝鮮人の存在に注目する傾向が強かったように思う。
 さらに、このような視点から歴史を眺めることによって「発見」されたのが「従軍慰安婦」であった。近代化論の洗礼を受けたのち、ポストコロニアル的な観点から日本の社会科学のあり方を省察した石田雄の記述は、このような「従軍慰安婦」の発見がどのようなものであったのかを教えてくれる(石田雄『社会科学再考』 、p.134)。
学徒出陣によって従軍し、敗戦を陸軍少尉としてむかえた私としては、「従軍慰安婦」の存在については当時から十分に知っていた。それにもかかわらず、敗戦によってアイデンティティの危機に直面した軍国青年として、何が戦争中間違っていたかを反省する動機から社会科学の研究に志した私としては、半世紀近くもこの深刻な問題を社会科学的に究明する責任を果たしていなかった点を深く恥じなければならない。この反省が、おくればせながらジェンダー研究に私の関心を向かわせることになった。その際に私の眼の前につきつけられた現実は、性差別と民族差別の二重の被害者としての「従軍慰安婦」であった。
 石田のように実際に従軍体験があったならば、「従軍慰安婦」というある意味において究極のマイノリティを直接視野に入れた研究を行うことも可能だったかもしれない。しかし、そうではない僕にとって、このようなマイノリティの側に素直に寄り添う研究に対しては、どうしても違和感が拭いきれなかった。というのも、僕は結局のところ、どこまで行っても日本社会ではマジョリティの男性なのであって、差別や抑圧などとは程遠い存在でしかないからだ。そんな僕がマイノリティのための言説を発することの「白々しさ」に僕は耐えることができなかった。それはまるで、マジョリティとマイノリティの間に何かの「膜」があって、その膜の向こう側に一歩でも足を踏み入れたなら、僕の言葉が全て胡散臭くなってしまうような、そんな感覚だった。
 こうした僕の感覚というのは、おそらく連合赤軍で見られた「自己批判」に通底するものがあるように思う。北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』で述べられているように、連合赤軍の総括では、際限なき自己批判が行われ、それがリンチなどの悲劇を生むことになった。要するに、彼らは基本的には大学にまで進学し、なおかつ理論武装するほどの経済的余裕をもった学生だったのであり、彼らが救済を目指す貧困層とは程遠い存在であった。従って、真の革命的闘士たるには、自らの内なる「ブルジョワ性」を自己批判によって克服する必要がある、ということになったわけだ。
 そして、これと類似した問いというのは、ポスト・コロニアルの思想にも付きまとっている。つまり、知識人が発言する機会を奪われてきたマイノリティの代わりに代弁することが本当に可能なのか、いかなる資格において代弁することが出来るのか、という問いである。とりわけ、人類学の分野では、こうした代弁者としての人類学者のポジショニングが様々な形で論じられるようになった。
 このように、僕が先程述べた「膜」の問題は、マジョリティに属する研究者や知識人が、マイノリティの問題を扱う際にしばしば発生する。連合赤軍は、そのような膜の問題を自己批判によって乗り越えようとしたのである。
 けれども、僕は、そうしたポジショニングの問題については、深く考えないことにした。つまり、最初からマイノリティの側に立って何かを書いたり、言ったりすることを放棄したのだ。そうしなければ、自分が書いたことを自分で信じられなくなる、と僕は思った。僕はマジョリティとしての自分の存在を否定するよりも、それを素直に受け入れる方向性を選んだのだ。
 ただし、それはマジョリティさえ良ければそれで良く、マジョリティマイノリティがどうなろうと知ったことではないといった発想に落ち着くということを意味しない。次回のエントリでは、この点について、詳しく述べることにしたい。
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  by seutaro | 2006-03-09 02:22 | 政治・社会

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