<政治・社会>死刑存続に賛成する者の責務

b0038577_1235421.jpg この間のエントリで、オウムの麻原被告について書いたときから、「死刑」ということについて書かねば、と思い始めた。

 正直に言って、僕は死刑という制度を存続すべきかどうか、判断を下すことができない。確かに、冤罪の可能性や国家が人命を奪うことの是非など、死刑という制度が孕む問題点は頭では理解できる。しかし、妻子を持つ身として、たとえば山口県光市の母子殺害事件の犯人のような輩に、死刑以外に適当な刑罰があるかと問われれば途方に暮れるしかないのも事実だ。

 とはいえ、死刑の存続に賛成するのであれば、ある重要な問題について思いを馳せる必要がある。それは、死刑を執行する立場にある人たちのことだ。無論、それは死刑執行の最終的な決断を下す法務大臣のことなどではなくて、実際に刑務所で死刑囚の命を絶つ人たちのことだ。

 この死刑の執行に携わる人たちについては、大塚公子『死刑執行人の苦悩』が詳しい。アマゾンのレビューでは、この本が死刑廃止を明確に打ち出しているために低い評価をつけている人もいるが、そのような留保がつくにしてもこの本が名著であることは否定しえない。

 死刑執行の業務というのは、当然ながら、愉快な仕事ではない。たとえば、次のような記述がある(p.20)。
 死刑の執行にあたって直接手を下す刑務官には「特殊勤務手当」・・・が出る。残業手当などのようにその月の俸給に加算して、俸給日に支払われるというのではなくて、即日支払いである。その額はというと、現在でせいぜい六千円かそこらのものだということだ。一万円には遠く及ばない。
 執行後はすぐに風呂に入って、その日の勤務は終わり。しかし、午前中いっぱいも働かず、特別休暇というか、その日はフリーになれるからといって、それを喜ぶ気持ちにはなれるものではない。清めの酒としてふるまわれる(役所だから支給というべきか)二合ビンを所内で飲みつくすと、そのまま街へ出る。まっすぐ家に帰る気分になど、とうていなれるものではない。まして、特殊勤務手当として支給されたなにがしかの金を自宅に持ち帰ったり、使わずにもっていたりすることは絶対といっていいほどない。街に出て飲み代にすっかり使い果たしてしまうのがほとんどであるという。手当てで足りずに自腹を切って深夜まで飲み歩く刑務官もめずらしくない。けれども、死刑執行のことは同僚にも話せず、家族にももちろん話せない。そのような陰にこもった状態で飲む酒が美味しいわけはない。昼食も夕食もいっさい食事は喉を通らず、ただ苦い酒を飲むばかりだが、それで酔えるというものでもない。稀に酔う者もいるが、そんなときはきまって悪酔いで、正体もないほどベロベロになってしまう。
 言うまでもなく、死刑の執行はそれに携わる人に深い心の傷を残す。しかも、そうした心の傷は時に家族にまで及んでしまう。子供を持つ親の立場として、とりわけ印象に残ったのは次のような記述である(p.182-187)。
 弁当を食べ終えて、水飲み場でハンカチを洗っているときだった。忘れもしない中学二年の七月のはじめ。
 隣のクラスの女の子が寄って来た。Lさんの近くに立って、なにげないふうに話しかける。
 「Lさんの父さん、人殺しで死刑になる人を殺す仕事なんだって?」
 Lさんはぎょっとして聞き返した。
 「だれが言ったの?」
 「みんなの噂よ。きたない仕事だって。」
 この女の子は少し知能の遅れた子だった。それだけに言葉はストレートで、Lさんの心を抉った。
 「そのとき、はじめてはっきり知ったのです」
(中略)
 Lさんは、父親が”きたない仕事”で得た手当で買ってくれた品々を、雨に濡れた庭に投げ捨てた。生まれてはじめて持った自分の裁縫箱。いまから思うと物資の乏しい時代のものとしてはぜいたくなものだ。木の箱に美しい千代紙を貼った、現在ではちょっと買えないと思う裁縫箱だった。
(中略)
 雨あがりの濡れ縁に、きのうLさんが投げ捨てた品々を母親が黙って広げていた。黙っている母親の背中は、悲しみに暮れているように思えた。
 「母ちゃん」
 Lさんは思わず呼びかけた。とても母親に悪いことをしたような気がしたから。しかし母親は返答しない。雨と泥とで汚れた裁縫箱や画板などを、ていねいにていねいにぞうきんで拭っている。
 母親の動作は、背後から見ると、声をたてずに泣いているように見えた。じっさい泣いていたのかもしれない。Lさんはいらいらした。
 「母ちゃん、そんなものは、いらんよっ」
 Lさんは母親の背に怒声を浴びせた。
 「そんなことを言うもんじゃないよ。父ちゃんが買ってくれたもんを」
 「いらん、いらん、そんなもんいらん」
 Lさんは言いながら、泣いて母親の背中にかじりついた。
 この本が出版されたのが20年近く前であり、報告の内容はそれからさらに遡った過去の話であるため、現在の死刑執行の方法とはかなりの違いがあるようだ。現在では、死刑台の踏板を外す操作は、5人の執行官が同時にボタンを押し、だれが押したボタンで作動したのかがわからなくなっているのだという。しかし、それでも執行官に相当の心理的負担がかかることは想像に難くない

 死刑制度の存続に賛成するということは、誰かに刑の執行を押し付けるということを意味する。そのような事実を強く意識することこそ、死刑存続に賛成する者にとっての最低限の義務なのだと僕は思う。
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  by seutaro | 2006-04-03 01:58 | 政治・社会

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