<政治・社会>少年犯罪論争(1)

昨日は、いわゆる「現実主義者」を標榜する人たちに対して皮肉めいたことを書いてみた。あえて一言で言えば、「自分ひとりがわかってるふりしてんじゃね~よ」ってところだろうか(笑)。
ま、それはさておき、実際には「現実主義」というのは、なかなかに難しい立場である。それは、「現実」とは一体なにかを判断することが結構難しいからだ。たとえば、丸山真男は『現代政治の思想と行動』に収録されている「現実主義の陥穽」という論文のなかで、現実には様々な側面があるということを論じ、次のように述べている(p.173~174)。

「そうした現実の多元的構造はいわゆる『現実を直視せよ』とか、『現実的地盤に立て』とかいって叱咤する場合にはたいてい簡単に無視されて、現実の一つの側面だけが強調されるのです。・・・『現実的たれ』というのはこうした矛盾錯雑した現実のどれを指していうのでしょうか。実はそういうとき、ひとはすでに現実のある面を望ましいと考え、他の面を望ましくないと考える価値判断に立つて『現実の一面』を選択しているのです。」

「現実」とは結局のところ選び取られたものに過ぎないという考えは、現象学的社会学なんかでも珍しくない考えであり、最近では社会的構築主義なんかの観点から盛んに論じられている。
ただし、丸山の考え方は「現実には多様な側面がある」と認識するレベルに留まっているのに対し、より最近の発想ではそもそも現実というのは「構築」されねば存在しえないものなのであって、多様な側面が存在するか否かは現実が多様な方法で「構築」されるか否かにかかっていると言うべきかもしれない。
ところで、最近、こうした「現実」が全く対立する観点から構築されている分野がある。それが、タイトルにもある「少年犯罪」の分野だ。
マスコミではしばしば「凶悪化する少年犯罪」が語られ、少年法改正など厳罰化に向けた動きも活発化している。だが、研究者の多くは、「少年犯罪の凶悪化」は幻想であり、むしろ以前に比べ、少年犯罪は減っているとの立場に立っている。その論者としては、鮎川潤や広田照幸などがおり、彼らの主張は『日本人のしつけは衰退したか』『少年犯罪』で読むことができる。また、より最近では、パオロ・マッツァリーノ(笑)が、『反社会学講座』において軽妙な語り口で「少年犯罪の凶悪化」が幻想にすぎないことを論じている。なお、この『反社会学講座』はもともとウェブサイトだったものを単行本にしたものであり、興味のある人はここを参照するといいだろう。
もちろん、こうした見解に批判がないわけではない。その代表的なものとしては、前田雅英『日本の治安は再生できるか』などが挙げられよう。もっとも、この前田氏の統計解釈には問題があるとの指摘も数多くなされており、いまだ決着はついていない。

う、ここまで書いて時間が厳しくなってきた。続きはまた今度ってことで^^;
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  by seutaro | 2004-10-13 23:56 | 政治・社会

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