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<学問>大学教育に意味はないか

 このエントリを読んでいて、なんとなくやりきれなさを感じてしまった。

ネットを使えば、大学より何十倍もの教育効果があるコミュニケーションを数万人とできるし、それもヌルい学生でなく、本当に学びたい社会人などと密度の濃いやりとりができる。ネットならみんなで寄ってたかって1日で質の良い教材もできるだろう。教室スペースや大学までの距離など、物理的制約を大きく受ける大学で講義する気は一切ないと。

 たしかに、現在の大学教育には様々な問題があるとは思う。けれども、大学に奉職している立場としては、こういうお気楽な発想にはやり場のない憤りを感じる。

 最初から「やる気のある相手」だけを相手にする教育というのは、はっきり言って楽である。たとえば、(まともな)大学院の演習などでは、参加者にも論客がそろっていたりするので、質の高い議論が勝手に進む。教員の仕事は、議論の流れを適切にコントロールすることだけである。

 逆に、やる気のない相手、とりわけ大学一、二年生あたりの大教室での講義をうまくマネージメントするのは非常に難しい。それなりの話術が要求されるし、できるだけ学生にとって身近な話題から始めて、高度なテーマにまでなんとか話を引っ張っていかなくてはならない。

 そもそも自分がいるところから半径50メートル以上向こうの出来事には関心のない、新聞も読まない学生が、どうやったら社会に関心を持つようになるのか。それは試行錯誤の繰り返しであるし、僕も授業が終わるたびに反省の連続である。1コマの授業の準備には、その数倍の時間をあてている。

 ちなみに、僕が勤めている学部の他の教員の皆さんは非常に教育熱心であり、FDも積極的に展開している。たまに教員同士の親睦会などが開かれるさいには、二次会と称してファミレスに行くのだが、そこでは深夜まで教育談義に花が咲く。大学の授業に意味がないというのは、そうした営為がすべて自己満足でしかないということなのだろうか。

 我々が相手にしているのは確かに「ぬるい学生」かもしれない。けれども、誰かが「ぬるい学生」に向けて教育をしなければならないのであり、良い教育をするためには当然研究もしなくてはならない。与えられた様々な制約のなかで、奮闘している教員は決して少なくない。

 そういう難しさを抱える教育を見下して、「大学というシステムは終わっている」などとのたまい、「大学より何十倍もの教育効果があるコミュニケーション」をしていると言われれば、正直に言って腹が立つ。ためしに、「ぬるい学生」相手に「大学より何十倍もの教育効果があるコミュニケーション」をやってみなよと言いたくもなる。

 最後に、大学教員は「既得権層」ということなのだが、こんな構造的不況産業の従事者をつかまえて「既得権層」と言われても正直困る。僕も大学院を出てから長らく不安定な雇用状態にあったし、初めてボーナスというものを手にしたときには30歳を過ぎていた。しかも薄給のため、ボーナスで毎月の赤字を埋めるので精一杯であった。その後、大学にポストを得ることができたのも、その選考の際の倍率を考えれば、ラッキーだったとしか言いようがない。

 というわけで、嫌な気持ちのまま終わる。どうせ、僕のやってる授業なんて全くの無意味なのさ。うじうじ。

  by seutaro | 2007-05-29 02:59 | 学問

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