<政治・社会>KYとネット

 最近、KYという言葉をときどき耳にするようになった。なんでも、「空気読めない」という意味なのだそうな。

 僕はこういう発想があまり好きではない。もちろん、実際のコミュニケーションにおいて、KYな人というのは結構困る。凍ってしまった場の雰囲気を取り戻すのは、結構たいへんだ。(もっとも、僕自身、空気が読めているのかどうかは自信がない。そういえば、高校生のころにはよく「空気読めや」と言われていた…)

 だが、そういうことが公の場で堂々と言われるようになると、これは大きな問題だ。山本七平『<空気>の研究』を持ち出すまでもなく、空気に支配された世論というのは、非常に怖い。非合理的な空気に支配された社会では、まともな議論が成り立たない。少数派は糾弾の対象となることを恐れ、口をつぐむ。社会心理学的に言えば「沈黙の螺旋」が生じる。

 その結果、いくら沖縄への戦艦大和の出撃が無謀だと最初からわかっていても、あるいは、戦闘機による特攻が戦術的には効果が薄いことがすでに判明していても、大和の出撃を当然視し、特攻精神を賛美する「空気」のもとでは、それに異論をさしはさむことは許されない、ということになる。

 もっとも、こんなことは心ある人ならちゃんとわかっていて、「空気」の怖さについてはいろいろなところで語られている。けれども、ジャーナリストの江川紹子さんの文章で、この「KY」という表現を見つけたときは、正直、がっかりした。(ここ)僕は、江川さん自身が「空気」なるものとの対決を意識しているジャーナリストだと考えていたからだ。

 とはいえ、この光市の例の事件に関する江川さんの文章は、世間の「空気」からすれば、なかなかのKYっぷりで好ましく感じられる。ただ、弁護団と死刑廃止運動との関わりについては、ここで明確な反論が出ており、江川さんよりも説得的であるように思う。

 それにしても、この光市の話。この件で炎上しているいくつかのブログを見ると、正直なところ、やっぱり怖くなる。ネットの世界では、こういうコメントラッシュが「空気」を作り出すうえで重要な役割を果たしているのだろう。

 けれども、ネットにもそういう悪い面ばかりがあるのではない。「沈黙の螺旋」理論では、支配的な世論の圧力にもかかわらず持論を曲げない人をハードコア層と呼ぶのだが、ネットのおかげでそういうハードコア層が声を発しやすくなったし、そういうハードコア層の声を聞く手段も飛躍的に増えた。たとえば、「弁護士のため息」にコメントを寄せている光市の弁護団の一人、今枝弁護士の話などを読むと(ここ)、橋下弁護士やテレビ報道がいかに一面的であるのかがよくわかる。

 ただ、それが世間一般の「空気」とどれだけリンクしうるのかは定かではない。ハードコア層が少数のハードコア予備軍を啓蒙するだけの話なのかもしれない(批判的な人なら「洗脳」と呼ぶだろう)。その場合、ハードコア層は、カルト的な少数派として、世間から蔑みの目で見られるだけだろう。
 
 ネットが「空気」の支配に抗する場となるのか、それとも、「空気」の支配を強める推進力となりうるのか。この光市の事件はその試金石の一つになるかもしれない。

<追記>
この件に関して、マス・メディアの報道には本当に問題が多いように思う。たとえばこのエントリなどを見ると、マス・メディアによるイメージ操作の問題をあらためて感じる。
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  by seutaro | 2007-09-19 16:36 | 政治・社会

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