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<日常>ホームビデオの哀愁

 親バカな父親の姿がもっとも典型的に示されるものといえば、何か。それはビデオカメラを片手に我が子の姿を必死で追うその姿だろう。「ちびまる子ちゃん」に出てくるタマちゃんのお父さんは常に我が子のシャッターチャンスを狙っているという少々偏執的なキャラであるが、あれが現代であればカメラではなくビデオカメラになることは間違いない。

 それにしても、人はなぜ写真や映像で我が子の姿をそこまでして残しておきたいと思うのだろうか。子どもが出来る以前には、僕はそんなことを考えもしなかった。自分自身の写真の場合、それは過去の思い出を残しておくというだけの話でしかない。

 もちろん、子どもの写真や映像を残すというのも思い出を残すことが最大の理由である。けれども、自分自身の写真を残すのとは、ニュアンスがちょっと異なるように思う。

 子どもは日々、成長する。それは親にとってまず間違いなく嬉しいことである。小さい子どもはなにせ手がかかるので、さっさと何でも自分で出来るようになってほしい…というのは圧倒的多数の親の願いだろう。

 けれども、子どもの成長は他方において、寂しいことでもある。子どもが2歳になってしまえば、生後半年のその子には二度と会えないのだ。そして、悲しいかな、半年のときの子ども、1歳のときの子ども、1歳半のときの子どもに関する記憶は急速に曖昧になっていく。

 そして、子どもが10歳、20歳、30歳になったとき、たとえば「1歳のときのこの子にもう一度会いたい」との想いを少なからぬ親が抱くのではないだろうか。現に、2歳の娘を抱える僕は、10分ぐらいでいいのだが、生後2ヶ月とか、半年ぐらいのこの子にもう一度会ってみたい気がする。

 だからこそ、たとえ傍から見るとバカみたいであったとしても、親は必死で我が子の姿を残そうとするのではないか。10年後、20年後に、かつての我が子にもう一度再会するために。

  by seutaro | 2007-12-03 02:04 | 日常

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