<政治・社会>「上から目線」論 その1

 最近、学生の会話を聞いてると、「なんでそんな上から目線なの」というような言葉をよく耳にする。まあ、要するに人を見下して話すような態度は嫌われるということなのだろう。

 でも、これ、教育に携わる者にとっては、面倒な発想でもある。

 「君の卒論はさ、論理の展開が甘いんだよ」

 「なんでそんな上から目線なんですか」

 とか反論されたら、教育が成り立たないではないか。もちろん、これは極端な例ではあるが、じっさい、mixiの日記検索で「上から目線 授業」とかで検索かけると、「先生が上から目線で…」とかいう表現に結構出くわす。

 思うに、「上から目線」という表現が一般に受け入れられた背景には、権威というものがもはや通用しなくなってきたということがあるのではないだろうか。権威とは、要するに知識の持ち主に対する自発的服従のことである。

 しかし、日本社会の平等化および多元化が進んだ結果として、知識全般の地位が低下してきたのだろう。

 かつての社会的な上下意識が解体したことに加えて、社会的な価値観が多元化した結果、知識の習得はオタク的な趣味の追求とほとんど同義になり、したがって大学教員など「一般常識(中身は定かでない)が欠落した」だけの単なるオタクに過ぎなくなる。

 ただし、こうした傾向はいまに始まったわけではない。60年代の終わりには、学生運動などで学生による大学教員のつるし上げ(自己批判せよ!)などが行なわれていたことを考えれば、すでにその時期には権威の崩壊は始まっていたと見るべきだろう。

 よって、これはもう時代の趨勢なので、いまさら「権威ある教師」など目指しても仕方がないのである。所詮、教員などサービス業。学生に受けてナンボの世界なのだ。

 といいつつ、学生に聞くと、僕のコメントは結構辛らつなこともあるそうだ。そ、そうなのかな…。

 上から目線については、もう1回続く。
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  by seutaro | 2008-05-18 00:12 | 政治・社会

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