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<政治・社会>「上から目線」論 その2

 以前に書いた「上から目線」論の続きである。

 前回のエントリでは、教育にたずさわる者としては「上から目線」への嫌悪というのは困った現象だという話をした。しかし、今回は逆に、ある種の「上から目線」というものを批判的に取り上げることにしたい。まずは、↓のブログのエントリを読んでもらいたい。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080501/1209595779#c

 このコメント欄で議論に参加している「一読者」とは、何を隠そうこの僕である。でもって、このあともしばらくのあいだは何だか論争らしきものが続いていたわけだ。この論争(?)は多少の波紋を呼んで、いくつかの派生的なエントリが生じたのだが、このなかでもっとも個人的に感銘を受けたのは、このブログのエントリ。

「偽善」でもなんでも構わないんだけど、一つ覚えておいて欲しいのは、当事者の野宿者たちはそれでもその「偽善」にすがらないと死んでしまうということ。「焼け石に水」というけど、人間は石じゃないんです。

 この論争もどきにコミットしていた僕自身ですら、「焼け石に水」という表現の暴力性に気づくことができなかった。反省することしきりである。

 ところで、社会にまつわる数字を扱っていると、その数字の背後にある具体的な人間の生のかたちを想像する感性が麻痺してくるようなことがある。そのとき、我々は知らず知らずのうちに「上から目線」になっていて、実際に生活を営んでいる人びとを神のごとき鳥瞰的な視点から見下せるような感覚を生じさせている。

 もちろん、そういう鳥瞰的な視点というのは、社会全体を見渡すときには必要不可欠だ。そのさいにある種の「上から目線」が生じてくるのは避けられないのかもしれない。だが、そういう超越的な視点は、時として地道に働いたり、活動していたりする人への嘲笑へとつながってしまう。鳥瞰的なマクロモデルに対し、一般の人びとが反発しがちなのは、そういう「上から目線」のようなものを無意識的に感じ取っているからではないだろうか。

 僕にしては珍しくこういうタイプの研究をやっているところなので、自省を込めて記す。

  by seutaro | 2008-06-29 23:59 | 政治・社会

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