<日常>死者からの贈り物

 あれがいつの事だったのか、はっきりとは覚えていない。おそらく、僕が小学校の高学年だったときのことではないかと思う。

 その晩、僕は眠れないまま、薄暗い部屋のなかでもっと幼かったころのことを思い出していた。そのとき、ふと曾祖母のことが、強い痛みとともに思い出された。

 曾祖母は僕が小学校一年生のときに既に亡くなっていた。晩年、曾祖母はずっと病院で過ごしていたが、いまで言う認知症を患っていたようだ。実質的には監禁に近い状態で、親族が見舞いに訪れるたびに家に帰りたがっていたのだという。

 まだ幼かった僕は結局、一度も曾祖母を病院に訪ねることはなかった。僕にとって曾祖母はなんだか恐ろしい存在で、おそらく自分から近づくこともなかったのではないかと思う。

 ところが、どういうわけか、誕生日か何かの機に曾祖母が僕にプレゼントをくれたことがあった。実質的には人づてに渡されたような気がするが、それはどう見ても女の子向けのキャラクターものの箱か何かだった。当然、僕が気に入るはずもなく、しばらくするとどこかへいってしまった。おそらく、親か誰かが処分してしまったのだろう。

 その後、曾祖母は亡くなり、数年が過ぎた。そしてその晩、僕は曾祖母の記憶とともに、その箱のことを思い出した。僕はその箱が手元にないことを激しく悔いた。どうして亡き曾祖母からの贈り物を大切にしなかったのだろう。それが、たとえ女の子向けのおもちゃであったとしても、いやむしろ、女の子向けのおもちゃであったからこそ、僕はそれを大切にすべきではなかったのか。曾孫の性別すらも判別がつかない状態でなおも渡そうとしたプレゼントであったからこそ、その意味は果てしなく重いはずだったのに。

 もちろん、当時の僕がこういう形で考えていたわけではないと思う。けれども、男の子の曾孫に女の子向けのおもちゃを贈った曾祖母に、一度も感謝の気持ちを伝えることができなかったことをとても悲しく感じたことは確かだ。
 
 一昨年のことだ。僕のアドレスに一通のメールが届いた。それを読んで、僕は驚愕した。大学のサークルで同期だった女性が亡くなったというのだ。その女性とは3、4年ほど音信不通になっていたものの、卒業旅行に一緒に行ったグループの一員だった。

 通夜には大学のサークルの同期がたくさん参加していた。けれども、死の直前に彼女がどんな暮らしをしていたのか、そもそもなぜ亡くなったのか、みんなあまり知らないようだった。

 会場の遺影には、僕が知っている彼女と何も変わらない姿が映っていた。そういえば、大学を卒業してしばらく経って会ったとき、彼女は僕が当時公開していたウェブ日記を読んでくれていると言っていた。結婚した僕の新居に遊びに来たがっていたこともあった。結局は彼女が体調を崩していたこともあって、その話は消えてしまった。

 そんなささいな思い出が浮かんでは消える。もっとちゃんとまめに連絡を取っておくべきだったのかもしれない。せめて一回は新居に招いておくべきだった。人の死はいろんな後悔を呼び起こすし、それによって僕らが学ぶこともある。けれども、何も教えてくれなくてもいいから、とりあえず生きていて欲しいと思う。とりわけ、その人がまだ若いのなら。

 もう8年の前の、ちょうどいまごろのことだ。その時、僕はイギリスに留学する直前だったのだが、彼女も含めた数人の友人が僕のためにささやかな歓送会を開いてくれた。そのさい、僕は彼らから餞別として定期入れを受け取った。

 8年間使い続けた定期入れはいまも現役だ。もう革の色も褪せ、糸のほつれも目立つ。果たして彼女がそれに出資してくれていたのかどうかは知らない。だが、「死者からのプレゼント」を僕は可能な限り使い続けたいと思う。

 それが、曾祖母の死から僕が学んだ唯一の教訓なのだから。
[PR]

  by seutaro | 2008-07-07 01:13 | 日常

<< <政治・社会>自己責任の底が抜... <政治・社会>「上から目線」論... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE