<政治・社会>子どもの事件

 またも、子どもが犠牲となる事件があった。福岡の事件に続いて、今度は千葉で5歳の女の子が命を絶たれてしまった。

 子どもが出来て、変わったことの一つは、こうした事件に接したときの何とも言えない嫌な感じだろう。自分の子どもがもし同じような目に遭わされたら、僕や連れ合いの目の届かないところで、苦しんでいる自分の子どもの姿を想像しただけで、体が熱くなる。

 もちろん、統計的に見れば、子どもが犠牲になる事件が増えていないことはわかる。たとえば、下記のサイトのデータが参考になるだろう。

子どもの犯罪被害データベース
http://kodomo.s58.xrea.com/

 子どもをターゲットにした犯罪は増えてていない。だが、「だから安心してよし」と言うのは、ちょっと想像力を欠いた物言いではないだろうか。自分にもっとも近しい人が被害者になる不安というのは、数字で納得させられるものではないのだ。自分の子どもがターゲットになる可能性は、決して「ゼロ」ではないのだから。

 だからといって、そういう不安を煽ることを正当化するわけでもない。不安に苛まれるなかでの判断は、妥当なものではないことが多いからだ。

 ともかく、こういう痛ましい事件が起きると、どうしてもいろいろな騒ぎが起こる。だが、あーだこーだ言うまえにまず我々がなすべきは、失われた幼い命の冥福をただ静かに祈ることではないだろうか。
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  by seutaro | 2008-09-22 00:30 | 政治・社会

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