カテゴリ:政治・社会( 58 )

 

<政治・社会>「上から目線」論 その1

 最近、学生の会話を聞いてると、「なんでそんな上から目線なの」というような言葉をよく耳にする。まあ、要するに人を見下して話すような態度は嫌われるということなのだろう。

 でも、これ、教育に携わる者にとっては、面倒な発想でもある。

 「君の卒論はさ、論理の展開が甘いんだよ」

 「なんでそんな上から目線なんですか」

 とか反論されたら、教育が成り立たないではないか。もちろん、これは極端な例ではあるが、じっさい、mixiの日記検索で「上から目線 授業」とかで検索かけると、「先生が上から目線で…」とかいう表現に結構出くわす。

 思うに、「上から目線」という表現が一般に受け入れられた背景には、権威というものがもはや通用しなくなってきたということがあるのではないだろうか。権威とは、要するに知識の持ち主に対する自発的服従のことである。

 しかし、日本社会の平等化および多元化が進んだ結果として、知識全般の地位が低下してきたのだろう。

 かつての社会的な上下意識が解体したことに加えて、社会的な価値観が多元化した結果、知識の習得はオタク的な趣味の追求とほとんど同義になり、したがって大学教員など「一般常識(中身は定かでない)が欠落した」だけの単なるオタクに過ぎなくなる。

 ただし、こうした傾向はいまに始まったわけではない。60年代の終わりには、学生運動などで学生による大学教員のつるし上げ(自己批判せよ!)などが行なわれていたことを考えれば、すでにその時期には権威の崩壊は始まっていたと見るべきだろう。

 よって、これはもう時代の趨勢なので、いまさら「権威ある教師」など目指しても仕方がないのである。所詮、教員などサービス業。学生に受けてナンボの世界なのだ。

 といいつつ、学生に聞くと、僕のコメントは結構辛らつなこともあるそうだ。そ、そうなのかな…。

 上から目線については、もう1回続く。
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  by seutaro | 2008-05-18 00:12 | 政治・社会

<政治・社会>KYとネット

 最近、KYという言葉をときどき耳にするようになった。なんでも、「空気読めない」という意味なのだそうな。

 僕はこういう発想があまり好きではない。もちろん、実際のコミュニケーションにおいて、KYな人というのは結構困る。凍ってしまった場の雰囲気を取り戻すのは、結構たいへんだ。(もっとも、僕自身、空気が読めているのかどうかは自信がない。そういえば、高校生のころにはよく「空気読めや」と言われていた…)

 だが、そういうことが公の場で堂々と言われるようになると、これは大きな問題だ。山本七平『<空気>の研究』を持ち出すまでもなく、空気に支配された世論というのは、非常に怖い。非合理的な空気に支配された社会では、まともな議論が成り立たない。少数派は糾弾の対象となることを恐れ、口をつぐむ。社会心理学的に言えば「沈黙の螺旋」が生じる。

 その結果、いくら沖縄への戦艦大和の出撃が無謀だと最初からわかっていても、あるいは、戦闘機による特攻が戦術的には効果が薄いことがすでに判明していても、大和の出撃を当然視し、特攻精神を賛美する「空気」のもとでは、それに異論をさしはさむことは許されない、ということになる。

 もっとも、こんなことは心ある人ならちゃんとわかっていて、「空気」の怖さについてはいろいろなところで語られている。けれども、ジャーナリストの江川紹子さんの文章で、この「KY」という表現を見つけたときは、正直、がっかりした。(ここ)僕は、江川さん自身が「空気」なるものとの対決を意識しているジャーナリストだと考えていたからだ。

 とはいえ、この光市の例の事件に関する江川さんの文章は、世間の「空気」からすれば、なかなかのKYっぷりで好ましく感じられる。ただ、弁護団と死刑廃止運動との関わりについては、ここで明確な反論が出ており、江川さんよりも説得的であるように思う。

 それにしても、この光市の話。この件で炎上しているいくつかのブログを見ると、正直なところ、やっぱり怖くなる。ネットの世界では、こういうコメントラッシュが「空気」を作り出すうえで重要な役割を果たしているのだろう。

 けれども、ネットにもそういう悪い面ばかりがあるのではない。「沈黙の螺旋」理論では、支配的な世論の圧力にもかかわらず持論を曲げない人をハードコア層と呼ぶのだが、ネットのおかげでそういうハードコア層が声を発しやすくなったし、そういうハードコア層の声を聞く手段も飛躍的に増えた。たとえば、「弁護士のため息」にコメントを寄せている光市の弁護団の一人、今枝弁護士の話などを読むと(ここ)、橋下弁護士やテレビ報道がいかに一面的であるのかがよくわかる。

 ただ、それが世間一般の「空気」とどれだけリンクしうるのかは定かではない。ハードコア層が少数のハードコア予備軍を啓蒙するだけの話なのかもしれない(批判的な人なら「洗脳」と呼ぶだろう)。その場合、ハードコア層は、カルト的な少数派として、世間から蔑みの目で見られるだけだろう。
 
 ネットが「空気」の支配に抗する場となるのか、それとも、「空気」の支配を強める推進力となりうるのか。この光市の事件はその試金石の一つになるかもしれない。

<追記>
この件に関して、マス・メディアの報道には本当に問題が多いように思う。たとえばこのエントリなどを見ると、マス・メディアによるイメージ操作の問題をあらためて感じる。
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  by seutaro | 2007-09-19 16:36 | 政治・社会

<政治・社会>安倍首相辞任

 先日まで指導しているゼミの合宿に行っていた。

 夜のコンパの最中、唐突に学生が「そういえば、安倍首相、辞めましたね」と言ってきた。わけのわからない僕は思わず、「へっ?」と言い返してしまった。その日はテレビも見ないで本を読んでいたので、午後から始まった辞任騒動を全く知らなかったのだ。

 「え、知らなかったんですか?」と妙に嬉しそうな学生。そりゃそういうことだって、たまにはありますですよ。

 それはともかく、僕は安倍首相が好きではなかった。彼が首相に就任してからしばらくは、何となく憂鬱な日々を過ごしていた。彼が言う「美しい国」なんて全然好きじゃなかったし、その背後に見え隠れするイデオロギーや歴史認識も大嫌いだった。(経済政策はそれほど悪くはないと思っていたが…)

 とはいえ、こういう形での辞任というのが嬉しいかと聞かれると、素直に喜べないのも確かだ。おそらく今回の辞任で彼が首相として再登板する芽は完全に絶たれたし、それはそれで喜ばしく思ってしまう自分もいる。が、とりわけ彼の閣僚の「不祥事」に関して、彼の任命責任だとか、そういうのを指摘する論などを見ると、全くもって同意できない。

 今回の彼の内閣における「政治とカネ」の問題など、かつてであれば全く問題にならなかったようなことのはずだ。おそらく、「政治とカネ」について、クリアすべきハードルが異常に上がりすぎてしまったがゆえに、ちょっとでも隙があれば簡単にマスコミのターゲットになってしまうのだろう。

 もちろん、「政治とカネ」についてクリーンであったほうが望ましいとも思うが、政治手腕よりもそういう「クリーンさ」ばかりが重視されてしまうと、政治家は小粒になる一方な気がする。あるいは、親からしっかりとした地盤を受け継いでいるために無理をする必要の少ない世襲議員か、知名度だけはあるタレント議員ばかりが残ることになるのではないか。

 たとえば、賛否はあれど、田中角栄がスケールの大きい政治家であったことを否定する人は少ないだろう。田中角栄が手がけた議員立法は33件にのぼり、土建国家の根幹を築き上げたのは彼の手腕によるところが非常に大きい。パフォーマンスだけの小泉前首相とは異なり、田中角栄は実際に「動く」政治家だった。

 しかし、もし仮に田中角栄が現在の若手代議士だったとして、彼が首相の座に上り詰めることはおそらく不可能だろう。ひょっとしたら議員に留まることすら難しいかもしれない。現在の「政治とカネ」についてのハードルを田中角栄がクリアすることはまず無理だ。

 無論、角栄流の公共事業依存型国家が現在の日本の足かせになっていると考える人も多いだろうが、ではそれに代わる新たなシステムを作り出せるような政治家が現在どれだけいるというのか。「清濁併せ呑む度量」なんて発想はすっかり影を潜めてしまった。

 話を戻せば、安倍内閣の「不祥事」は、カネの問題であれ失言の問題であれ、あまりにも揚げ足取りが過ぎたように思う。「ナントカ還元水」とか、そんな話はもうどうでもいい。

 次の首相が誰になるのかは知らないが、そういう些細な揚げ足取りに終始するのではなく、野党もマスコミも、もちっと大きなスケールでの批判を展開してほしいと思う。
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  by seutaro | 2007-09-15 08:00 | 政治・社会

<政治・社会>イギリスの物価が異常に高いことについて

 とにかく高い。もう半端なく高い。何がって、イギリスの物価である。

 いま、イギリスにやってきて10日ほど経つのだが、もう貯金がものすごい勢いで減っている。贅沢はしていない、と思う。宿は安めで(よって、汚いか狭い)、食費も抑えている。まあ、資料のコピー代はかさんでいるが、それは仕方がない。

 数年前からイギリスにはちょくちょくやってきているが、今回ほど物価の高さを痛感させられることはなかった。まあ、ここ3、4年は委託調査の業務で来ていたので、全部経費で落としていたというのもあるのだが・・・・。

 それはともかく、なぜ物価がこんなに高く感じられるのか。一つは言うまでもなく円が安いからである。数年前に僕が留学していたときには1ポンド200円を切っていたと思うが、いまでは1ポンド240円もする。だが、理由はそれだけではない。

 もう一つの大きな理由として、日本はなかなかデフレから脱することができないのに対し、かの国ではずっとインフレだったということがあると思う。たとえば、僕の在学していた大学に行くバスの運賃も1ポンドだったのが、現在では1.5ポンドである。聞けば、今年の1-3月のイギリスの消費者物価指数の上昇率は2.9%だという。

 とはいえ、イギリス人の賃金も物価上昇率を越えて上がっているので(年間3~5%ぐらいの上昇率らしい)、インフレに対してそれほどの不満はないのだそうな。

 が、そんなイギリスにデフレの国からやってきた僕。あらゆるものの物価が日本のほぼ2倍ぐらいするように感じられるわけで、はっきり意ってあんまり楽しくない。何かするたびに財布へのダメージばかり気にしてしまう。

 しかし、こんなところでデフレの罪を実感することになるとは…。
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  by seutaro | 2007-09-07 08:49 | 政治・社会

<政治・社会>「納得できない動機」を聞きたくなるとき

 この前のエントリで、人びとは殺人に関して「納得できる動機」を聞こうとすると書いた。けれども、よく考えてみると、場合によって人は「納得できない動機」を好んで聞こうとする瞬間があることに気づいた。

 それを考えるためには、浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』(光文社新書、2006、p.86)の以下の記述が参考になる。

 当時、この(宮崎勤被告の:引用者)事件について発言した言論人たちは、足並みをそろえるかのように一斉に検察の示した凡庸なストーリーに反発した。あたかも宮崎の意を汲もうとするかのごとく、事件を凡庸な性犯罪に押し込めることに抗った。

 宮崎勤被告の事件では、劣等感にさいなまれ成人女性への欲望を満たすことができない被告がその代償としてか弱い幼女を狙ったのだというストーリーを描いた。しかし、そうした「凡庸なストーリー」に対しては、まず宮崎被告が反発した。「全体的に、醒めない夢を見て起こった。」さらに、一人の幼女の両手を焼いて食べたと告白したのである。そして、この事件にコメントをしていた識者たちもまた、この犯罪の「特異性」を強調し、宮崎被告をある意味で支持したというのである。

 この事件の場合、むしろオーディエンスは「納得できる動機」ではなく、「納得できない動機」を聞きたがった。その動機が異常であればあるほど人びとの好奇心は掻きたれられ、そうした「異常な犯罪性」が一体なにに起因するのかを知ろうとしたのだ。

 ところが、他の事件においては、仮に犯人がそうした「異常な動機」を告白したとしても、まったく相手にされないか、せいぜいが精神障害を装うための詐術だと断ぜられて終わるだけだろう。

 だとすれば、宮崎被告の事件と他の殺人事件とを区別するものはいったい何なのか。その理由の一つは、前掲書でも論じられているように、宮崎被告の事件が「時代の兆候」として最初から取り上げられたということがあるだろう。

 つまり、宮崎被告は当時の社会が抱える病を体現した存在として「祭り上げられていた」のだ。したがって、その動機が異常であればあるほど、時代の病もまた深刻だという判断がなされ、「近頃の若者」あるいは「オタク」を憂うコメンテーターの格好の材料になりえたのである。

 以上のことから、いかなる動機であれば受け入れられるのかという問題については、その人物がいかなるフレームで論じられるのかが鍵となる。「時代を象徴する異常者」なのか、それとも「凡庸な犯罪者」なのか。「異常な犯罪者」とされた場合、その動機は納得出来ないものであればあるほど多くの人びとをひきつけることができる。逆に、「凡庸な犯罪者」とされた場合、その動機はあくまで「納得できる」ものでなくてはならない。仮に、宮崎被告が「凡庸な犯罪者」とされていたならば、彼の語る「醒めない夢」は一蹴されていた可能性が高い。

 言うまでもなく「異常な犯罪者」と「凡庸な犯罪者」との境界線はきわめて曖昧である。よって、「異常な犯罪者」とされた人物に「納得できる動機」を認めうる余地があるのと同様に、「凡庸な犯罪者」と位置づけられた人物にも「納得できない動機」を認めうる余地を残しておく必要はあるのではないだろうか。

(ちなみに、宮崎被告が「異常な犯罪者」と位置づけられるにあたって重要な役割を果たしたのが彼の部屋の映像であろう。部屋を埋め尽くす雑誌やビデオ。そして、その雑誌のなかでもとりわけ人目をひく一冊のポルノ雑誌。この映像によって、彼が「異常な犯罪者」だとの印象が大きく強まったのではないか。そのポルノ雑誌は、報道陣によって意図的にそこに置かれたのではないかとの指摘もある。その指摘によれば、雑誌のほとんどはポルノ以外の雑誌であったが、事件後にその部屋を撮影した報道陣が宮崎被告の異常性を強調するために、わざと目立つ場所にそれを置いた可能性が高いのだという。)
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  by seutaro | 2007-06-01 16:51 | 政治・社会

<政治・社会>「教員への信頼」

 教育基本法の改正(悪)も決まってしまい、なんとなく憂鬱である。

 今の首相というのは、「教育」を政治問題化することに主眼を置いているのだそうな。けれども、検討されている政策を見ると、どれもこれも「あちゃ~」と言うほかないようなものばかり。「教育再生会議」だか何だか知らないが、文化人気取りのどーでも良い連中が好き勝手なことばかり言っているような印象だ。

 その一方で、朝令暮改の教育行政や、学校教育を「サービス業」か何かだと勘違いした保護者に振り回されて、教育現場の疲労は増すばかり。先日の新聞記事には、こういうものがある。

心病む教員、休職最多の4178人・05年度公立校
『日本経済新聞』12月15日
 全国の公立小中高校などの教員のうち、精神性疾患を理由とする2005年度の休職者は過去最多の4178人で、病気休職者総数の約6割に達したことが15日、文部科学省のまとめで分かった。前年度より619人増え、増加は13年連続。同僚との人間関係や保護者への対応を巡るストレスから不調に陥るケースが多いとみられる。

 病気休職者総数(7017人)に占める割合は3.1ポイント上昇して59.5%と、これまでで最も高かった。

 もう1つ。やや古いが、こういう記事もある。痛ましい話である。

公務災害:土日勤務常態化、教諭が過労自殺 両親「職全う」と認定を申請
『毎日新聞』2006年10月25日

 仕事の過労とストレスで抑うつ状態になり、今年5月に自殺した東京都新宿区立小学校の新任女性教諭(当時23歳)の両親が24日、公務災害認定を申請した。教師の仕事量が近年増加しているとの指摘があり、精神性疾患で休職する教師も増加している。両親は「職を全うしようとしたからこそ倒れたということを証明したい」とした。

 弁護士によると、今年4月から女性教諭は小学2年(児童22人)のクラスを担任。担任業務のほか、学習指導部など複数の職務を担当。区の新任向けの研修をこなし、授業の準備やリポート提出に追われていた。土日出勤も常態化し、時間外労働が1カ月130時間を超えていたと推定される。

 また、4月から5月にかけて、指導方法を巡り保護者とやりとりを繰り返し、対応に悩んでいたという。しかし、1学年1クラスのため、同学年内に新任教師に対する指導担当教員がおらず、十分な指導が受けられないと周囲に漏らしていた。

 教諭は5月に抑うつ状態と診断され、同月下旬に都内の自宅で自殺未遂を起こした。さらに同31日に自宅で自殺を図り、6月1日に死亡した。自宅に残されたノートには「無責任な私をお許しください。全(すべ)て私の無能さが原因です。家族のみんな ごめんなさい」と記されていた。

 両親は「誠実さと優しさと使命感に満ちあふれた若い人材が二度と同じ道を歩むことのないことを切に望んでいます」とコメントした。【吉永磨美】

 いまの「教育再生会議」とやらがいかにろくでもないかは既にいろいろなところで指摘されている(たとえば、ここ)。というわけで、今日は「教員への社会的信頼」というテーマで書いてみたい。

 少子化により教員の数も減ってきているわけだが、それでも日本にはたくさんの教員がいる。当然、そのなかには「素晴らしい先生」もいれば、「イマイチな先生」、さらには「酷い先生」もいる。難しいのは、児童や生徒との相性ということもあり、万人にとって「素晴らしい先生」というのはまず存在しないということなのだが、それは措こう。

 ともあれ、いろいろな先生がいて、そのなかには多少の「当たり外れ」があるのは不可避である。これは、教育がマニュアル化しきれないものである以上、しょうがないことであるし、昔からずっとそうである。

 しかし、現在の「教育問題」の特徴は、「教員への信頼」が徹底的に失われたということにあるのではないだろうか。その「信頼」が解体した大きな要因は、保護者の側の社会的属性の変化であり、マス・メディアによるヒステリックな報道、そして教育を政治問題化することで求心力を高めようとする政治家諸氏の動きである。

 まず、保護者の側の社会的属性の変化というのは、要するに保護者の側が高学歴になったということである。教育社会学などの知見によれば、かつての師範学校出の学校教師というのは、地域のエリートであり、権威という面においては現在と比較にならないほどに大きかったという。

 ところが、社会全般での教育水準が高くなり、場合によっては保護者のほうが教師よりも高学歴になるというケースがどんどん増えてくる。加えて、教育に対する社会的な関心の高まりもあって、「教師の権威」はどんどんと掘り崩されていく。そこから、子どもに知識を与えるだけの「サービス業者」のように教師を見なす保護者も増えてきたと考えられる。

 しかし、子どもが自発的に教員の言うことを聞くようにするためには、子どもの側が教員の「権威」を承認していなくてはならない。その点が、教育が「サービス業」とは異なる重要な点である。保護者が子どもに向かって「今度の先生はいまいちよねぇ」などと日常的に言うようになれば、教師の権威はもたない。

 無論、そうした現象は最近に始まったことではない。そのため、1970~1980年代の学校においては、「権威」の不足を「強制力」で補う形での秩序維持が行われていた。「荒れる学校教育」を前に、体育会系の教師が優先的に採用され、言うことをきかない生徒を力で押さえつけてきたというわけだ。

 しかし、そうしたタイプの管理教育には当然、限界がある。ガバナンスで言えば、自発的な服従を確保できたほうが、物理的な強制力の行使よりもずっと効果的だからだ。また、マス・メディアがそうした「体罰」に対する批判を強めたため、教員は権威の不足を強制力で補うことが出来なくなってきた。その結果が、「学級崩壊」なのだろう。

 そして、この「学級崩壊」にしても、マス・メディアがヒステリックに報道した結果、学校に対する信頼の失墜をさらに加速させることになったと言えるだろう。そこから、どっかの私立小学校から苦労もせずに大学を卒業した某首相が、教育問題を自らの政策アジェンダするという事態が生じることになったわけだ。

 繰り返しになるが、今の「教育再生会議」や、文部科学省による現場の締め付けが、教育を良くするとは僕には到底思えない。「教育再生会議」の最大の問題点は、「不適格教師の排除」というネガティブな方向ばかりに注目し、実際に現場で頑張っている教員のエネルギーや「やる気」をどうやって引き出すのかということが全然見えてこないことだ。

 僕は、とりあえず教育をどうにかしたいのであれば、マス・メディアも政治家も「学校のことを忘れる」というウチダ先生のこの意見に100%賛同する。締め付けによってしょうもないデスクワークや研修を増やす暇があるなら、教師が子どもたちと向き合える時間を可能な限り増やすべきだ。

 ウチダ先生に付け加えて言うと、「学校のことを忘れる」ためには、やはり教員に対する信頼の回復が不可欠ではないだろうか。もちろん、なかにはろくでもない教員がいることも事実である。子どもの死体が大好きな奴とか、幼児性愛癖のある奴などが教員にふさわしくないことは同意する。が、そうした不適格教員の排除は個々のケースごとにやるべきであって、政策のレベルでどうこうするという話にすべきではない。

 また、保護者の側にしても、仮に東大を首席で卒業していようとも、実際に教壇に立ち、教員の日々の業務をこなしたことがないかぎり、どこまでいっても素人なのだということを認識すべきなのだと思う。

 あとついでに言うと、教育をもっと良くしたいというのであれば、もっとカネを使わないと駄目だ。カネをかけずに精神論だけで何とかしようというのは、戦前の軍隊を思わせる発想である。というわけで、最後にこのグラフを掲載しておく。出典は、http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3950.html

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  by seutaro | 2006-12-17 10:38 | 政治・社会

<政治・社会>平成の関東軍


自民党の中川秀直幹事長は8日夜、埼玉県上尾市内での講演で、「国民生活とはかなりかけ離れた『駆け込み利上げ』はしないと信じたい」と述べ、日銀による追加利上げを強くけん制した。「金融政策の影響は大きい。政府としっかり意思疎通してもらわないといけない」とも強調した。

中川氏は今年7―9月期の国内総生産(GDP)改定値が大幅に下方修正されたことに関して「考え得る政策の影響はゼロ金利の解除などしか思い浮かばない」と述べ、日銀の金融政策が一因だとの認識を示した。そのうえで「金融政策が実体経済に与えた影響を検証し、国民に説明してほしい」と注文を付けた。
                                『読売新聞』2006年12月8日

実際には、中川幹事長は↓のような発言もしていたそうな。

「政府から独立しているという日銀のメンツのためだけに(利上げを)強行するなら、その代償は余りにも大きい。日銀には『平成の関東軍』などと言われないよう心から期待したい」

平成の関東軍…。いやホント、日銀って何考えてるのやら。
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  by seutaro | 2006-12-09 11:30 | 政治・社会

<政治・社会>労働問題入門

とりあえず流行っているのでコピペ。

フリーザ様に学ぶフリーター問題
http://stat.ameba.jp/user_images/e5/c2/10012572082.jpg

セルゲームに学ぶ「再チャレンジ支援税制」
http://up2.viploader.net/pic/src/viploader364144.jpg

戸愚呂面接官に学ぶ中途採用基準
http://image.blog.livedoor.jp/news4vip2/imgs/1/5/156c3df1.jpg

三井寿に学ぶ派遣社員問題
http://image.blog.livedoor.jp/news4vip2/imgs/2/3/2318a878.jpg

孫一家に学ぶ「就職氷河期」問題
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/002/078/73/1/116622477515628515.jpg

縮小されちゃって見えないときは、縮小されている画像の上にポインタを置いておくと、「通常のサイズに伸ばす」という表示が出るので、それをクリックすること。

個人的には、団塊ジュニア世代(1971~1974年生まれ)だけに「孫一家に学ぶ『就職氷河期』問題」がヒットかな。僕は大学院に行ってしまったので、就職活動はM2のときにちょっとやっただけだが、周囲のみんなは実に大変そうであった。

なんというか、団塊ジュニアっていろいろな面で損ばかりしているような気がする。受験しかり、就職しかり、住宅取得しかり。将来的には年金なんかでも辛い目に会うだろうしね・・・。

負けるな、団塊ジュニア!!

<追加>
ドラゴンの騎士に学ぶパラサイトニート問題
http://download.zenno.info/2006/12/2006121201.jpg

大魔導師ポップに学ぶ新卒の重要性
http://www.geocities.jp/sakusyu2006/index9.html

ワムウに学ぶホワイトカラーエグゼプション
http://gazouko2.tripod.com/img/jojo-zangyo.html
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  by seutaro | 2006-12-07 13:36 | 政治・社会

<政治・社会>耐震偽装問題その後

とりあえず、リンクだけ。

http://www.egawashoko.com/c006/000197.html

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/10/post_5af2.html

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/10/post_3c80.html

まあ、なんというか陰謀論には与したくないという思いはある。この問題に関して、僕は真実
を語る立場にない。

けれども、もし仮に上記の(とりわけ下2つの)URLの主張が正しいとすれば、やはりこれは
問題だと思う。
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  by seutaro | 2006-10-24 01:26 | 政治・社会

<政治・社会>最悪の敵は、時に最大の味方となる

 一般に、国際関係というものは良好なほうが望ましいと考えられている。実際、国と国との仲が悪いと、様々な問題が発生し、最悪の場合には戦争ということになる。

 けれども、みんながみんな良好な国際関係を望んでいるかと言えば、必ずしもそうとはいえない。国際関係の悪化を喜ぶ人もまた存在するのだ。

 「国際関係」とはちょっと話がずれるが、イスラエル建国の最大の貢献者は、アドルフ・ヒトラーだという話がある。

 かつて、世界中に分散しているユダヤ人を集結させ、独立国家を建設しようとする思想・運動であるシオニズムは、ユダヤ人の間でもそれほど人気があるわけではなかった。多くのユダヤ人は居住先の国家で確固たる生活の基盤を築いていたし、「いまさら独立国家なんて…」という考えを多くの人びとが持つのは何ら不思議なことではなかった。

 ところが、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺は、「いくら社会に同化していたとしても、いつ攻撃の矛先がユダヤ人に向くかわからない」という「教訓」をユダヤ人に与えた。そこで、シオニズムに対する支持が高まり、イスラエル建国に繋がった・・・というのである。

 事実、シオニズム運動の創始者の一人であるテオドール・ヘルツルは、「反ユダヤ主義者は我々の最も確かな友人であり、反ユダヤ主義の諸国は我々にとっての友好国だ」と書簡に記したという。(小坂井敏晶『民族という虚構』、p.14)要するに、ユダヤ人に優しい社会が多ければ、それだけシオニズム運動が難しくなってしまう、ということである。

 ということで、話は飛んで、現代日本。靖国問題を契機とした日中関係の悪化がいろいろなところで論じられているわけだが、実は中国にも首相の靖国参拝を望む勢力がいるという話を読んだ(『SIGHT』2006年夏号)。なんでも、中国では現在、三つの主要勢力(人民解放軍、共産党A(守旧派)、共産党B(経済開放路線派))の間で主導権争いが行われているのだそうな。(共産党A、共産党Bという名称はテキトーにつけました)

 そして、人民解放軍と共産党Aは、ともに小泉首相の靖国参拝を歓迎していた…のだそうである。というのも、いずれにしても「軍国主義を反省していない日本」というイメージが中国社会に拡大すればするほど、自らの権益を拡大する余地が増えるからである。人民解放軍なら、「日本の脅威」とやらに対抗するために軍備拡張をより一層主張しやすくなるだろうし、共産党Aなら国家体制維持のためのイデオロギー操作に「反日」を利用しやすくなる。

 それに対し、靖国参拝で困るのが共産党Bの連中なのだそうな。共産党Bは、共産党の主導権を保ちながらも経済開放および緩やかな民主化こそが中国の国益になると考え、良好な国際関係のもとで経済発展を遂げていきたいと考えている。従って、人民解放軍や共産党Aが主導権を握る事態は避けたいというわけだ。
 
 江沢民はかつて共産党Bの出身だったそうであるが、自らの地位保全のためには人民解放軍や共産党Aのほうに歩み寄らざるをえなかった。そして、現在の胡錦濤もまた共産党Bの出身であるが、江沢民と同じような方向に流れ着きつつあるのだという。

 無論、外交関係においては、そうした国内の対立を他国に見せることは絶対にしないので、中国政府は一枚岩に見える。が、「靖国に行くな」という主張を掲げながら、その背後には「頼むからホントに行ってくれるな」と必死にお願いしている人たちと、「靖国に行ってくれてどうも有難う」とニヤニヤしている人たちがいるというのは、なかなかに興味深い。

 もちろん、こうした裏事情は、中国側だけに存在しているわけでもないのだろう。中国が靖国反対を声高に叫び、日本に敵対的な姿勢を示すほど、それを嬉々として自らの主義主張の裏づけに使う日本の論客たちもいる。内田樹氏の用語法を使えば、「ナショナリスト」ならぬ「ショーヴィニスト」ということになるだろう。要するに、隣国が愚かで野蛮な行動をすればするほど、内心では喜んでしまう人たちのことだ。

 さてさて、我々は隣人として、人民解放軍、共産党A、共産党Bのどれが主導権を握る国家が望ましい(もしくは、まだまし)だと考えるのだろうか。
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  by seutaro | 2006-09-13 14:49 | 政治・社会

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