カテゴリ:日常( 47 )

 

<日常>どうして雨なんですか~?

 先日、雨の日に妻と娘が出かけようとしていた時のこと。
 唐突に、娘が妻に「今日はどうして雨なの?」と尋ねた。
 それに対して妻は、「さあね~、お空に聞いてごらん」と答えた。
 そのまま二人は玄関を出ていき、僕はそれを見送ったのだが、しばらくすると家の外から「今日は~どうして雨なんですか~?」と娘が大声で叫ぶのが聞こえた…
 帰ってきた妻によると、「お空さんは何て言ってた?」と娘に訪ねたところ、
 「雨だからよ~」と答えたんだそうな。
 かわいいのう…
 
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  by seutaro | 2008-11-11 14:28 | 日常

<日常>ぽにょ

 うちの娘は、「ぽにょ」の歌が好きだ。ついでに言うと、「隣のトトロ」も大好きで、飽きもせず何度も見ている。

 というわけで、7月の終わりぐらいだったか、うちの娘と2人で「ぽにょ」を劇場に見に行ったのだ。もちろん、うちの娘は映画館初体験だが、大喜び。僕も劇場で映画など何年かぶりだ。

 大人しくできるかな、という僕の不安をよそに、とりあえず娘はおとなしく見ている。だらだらと続く予告編もおわり、やれやれ一安心…と思ったら甘かった。

 なんと、途中で娘が「怖い~」といって泣き出したのだ。劇中に魔法使いが出てくるのだが、どうもその彼が怖いらしい。周囲に迷惑なので、娘をだっこして出口に向かって突進…のはずが、なぜか出口が見あたらない。仕方がないので劇場のすみっこでだっこしたまま途方に暮れていると、シーンが切り替わり、娘が元気を取り戻した。

 「まだ見る?」と訊くと、頷いたので、とりあえず座席に戻る。が、しばらくするとまた件の魔法使いが出てきて、それでまたも泣き出した。今度は正確に出口の方向に突進し、そこで観劇は終了。時間にして30~40分ぐらいだったか。

 というわけで、ぽにょはDVDで見ることになりそうだ。

 娘と映画館デートはちと早すぎた。残念だ。
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  by seutaro | 2008-08-16 22:31 | 日常

<日常>採点はなおも続く

 こんな時期になっても、まだ学期末試験の採点をやっているのである。といっても、1200枚中、おそらく1100枚近くは終わったので、あとは100枚強ぐらいだろう。

 最後にやっているのは非常勤で教えている某女子大の答案。締め切りが一番遅いので、必然的に後回しということになった。ちなみに、偏差値的にはおそらく僕が教えているなかでは一番低いだろうが、面白い答案がこれまでで一番多い。

 「自分の意見を書きなさい」という設問のばあい、偏差値が高めの大学だと、どうしても巷に溢れる紋切り型の一般論が多くなるような気がする。だから、読んでいて、まったく面白くない。

 それに対し、某女子大の答案は、超個人的な体験談から入ることが多い。もちろん、そこには一般性のカケラもないのであり、社会科学として見るならばあまり高い点数をあげられないのも事実だ。

 けれども、それらの答案を一種のエスノグラフィーとして見るならば、なかなかに面白い記述が含まれている。「なるほど、こんなふうに解釈するのか」といった「発見」が随所にある。

 といっても、採点が辛い作業であることに変わりはない。早く終わって、論文書かないとな~。
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  by seutaro | 2008-08-14 00:59 | 日常

<日常>子どもに本を読むこと

 今日、家に帰ると、大勢の子どもがいた。同じマンションに住む子どもたちがお母さんたちと一緒に夕食を食べにきていたのだ。

 夕食を食べたあと、とりあえず子どもたちと一緒に遊んだのだが、いかんせん人数が多い。そこで、絵本を読んであげることにした。

 変なイントネーションと大げさな台詞回しでそれなりにはウケたのではないかと思う。

 それにしても、と思う。子どもに絵本を読んであげることが出来るというのは、なんと楽しいことなのか。

 僕が高校生のときのことだ。僕は学校の催しで、視覚障がい者の講演会に出席した。全体としてどんな話だったのか、さすがにもう覚えてはいない。けれども、一つだけ、とても印象に残る話があった。

 その視覚障がい者の方には、お子さんがいて、絵本を読んでくれとせがまれることがあるのだそうだ。けれども、その方には絵本を読むことができない。とりあえず、手で絵本をなぞってみるのだが、どうすることもできない。そういう話だった。

 もちろん、僕にしても、仕事で疲れているときには、絵本を読んであげるのが面倒なこともある。しかも、3歳のときに親に本を読んでもらったことなど、子どもはいずれ忘れてしまうだろう。
ついでに言うと、スティーヴン・レヴィットによると、親が子どもにどれだけ本を読んで聞かせたかということは、子どもの成績と相関しないそうだ(『ヤバい経済学』)。

 けれども、子どもに絵本を読んであげることができるというのは親の義務というよりも、権利なんだろうと思う。

 少なくとも、僕には、絵本を手でなぞる以上のことができるのだから。
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  by seutaro | 2008-07-31 02:48 | 日常

<日常>微妙なコメント

 ここしばらく、楽しくない毎日が続いている。

 というのも、学期末試験の採点に追われているからだ。現時点で960枚ほどが手元にあり、来週の月曜日に250枚ぐらいが追加される見込みなので、合計すると1200枚ちょっとになる。1日100枚ずつ採点したとして、12日間以上かかる計算だ。

 そもそも、なんでこんなことになってしまったのだろうか。確か去年は800枚ちょっとだったはずなのだが、授業時間を変更(1限→3限)したりしたおかげか、ずいぶんと増えてしまった。某非常勤先では、楽勝科目だとの噂が流れたのではないかと懸念している。(ちなみに、本務校では「たくさん落とす」という悪評高い存在なので、そんなことはないはず)

 採点というのは、本当に楽しくない作業だ。同じような文章、同じようなミス、親の敵のような乱雑な字が延々と続く。文字が頭に入ってこなくなる。けれども、たまにものすごく出来のいい答案があったりすると、一服の清涼剤になる。

 微妙なのは、「先生の授業、すごく楽しかったです」といった類のコメント。無論、嬉しくないわけがない。汚い字の答案に疲れ果てた僕の目に、「楽しかった」というコメントは暗闇の中の一筋の光のようだ。その後にちょっとした感想でもあれば、さらにポイントは高い。正直にいって、AかBかの判断で本当に迷うような出来の答案のばあい、そうしたコメントがプラスに働くことは否定できない。人間だもの。

 が、そうしたコメントが常にプラスに働くとは限らない。つまり、「楽しかったという割に、この答案の出来はいったい何なんだ」というような出来の答案のばあい、むしろそうしたコメントはマイナスに働く。教員にごまをすって、少しでも良い点をもらおうという魂胆が見え見えだからだ。

 もちろん、AかBかで迷うぐらいの答案でも、学生の側にそうした計算が働いていないわけではないだろう(もう、僕の性格はねじくれてしまっているのだ)。でもまあ、AかBかぐらいの出来であれば、「まあ、騙されてやるか」という気持ちになるのだ。

 それに、そこまで計算して書いているのであれば、そのスキルに応じてAをあげてもいいかな、とも思う。

 無論、これは僕のばあいなので、他の教員に同じ手が通じるとは限らないのだが…。
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  by seutaro | 2008-07-26 00:49 | 日常

<日常>死者からの贈り物

 あれがいつの事だったのか、はっきりとは覚えていない。おそらく、僕が小学校の高学年だったときのことではないかと思う。

 その晩、僕は眠れないまま、薄暗い部屋のなかでもっと幼かったころのことを思い出していた。そのとき、ふと曾祖母のことが、強い痛みとともに思い出された。

 曾祖母は僕が小学校一年生のときに既に亡くなっていた。晩年、曾祖母はずっと病院で過ごしていたが、いまで言う認知症を患っていたようだ。実質的には監禁に近い状態で、親族が見舞いに訪れるたびに家に帰りたがっていたのだという。

 まだ幼かった僕は結局、一度も曾祖母を病院に訪ねることはなかった。僕にとって曾祖母はなんだか恐ろしい存在で、おそらく自分から近づくこともなかったのではないかと思う。

 ところが、どういうわけか、誕生日か何かの機に曾祖母が僕にプレゼントをくれたことがあった。実質的には人づてに渡されたような気がするが、それはどう見ても女の子向けのキャラクターものの箱か何かだった。当然、僕が気に入るはずもなく、しばらくするとどこかへいってしまった。おそらく、親か誰かが処分してしまったのだろう。

 その後、曾祖母は亡くなり、数年が過ぎた。そしてその晩、僕は曾祖母の記憶とともに、その箱のことを思い出した。僕はその箱が手元にないことを激しく悔いた。どうして亡き曾祖母からの贈り物を大切にしなかったのだろう。それが、たとえ女の子向けのおもちゃであったとしても、いやむしろ、女の子向けのおもちゃであったからこそ、僕はそれを大切にすべきではなかったのか。曾孫の性別すらも判別がつかない状態でなおも渡そうとしたプレゼントであったからこそ、その意味は果てしなく重いはずだったのに。

 もちろん、当時の僕がこういう形で考えていたわけではないと思う。けれども、男の子の曾孫に女の子向けのおもちゃを贈った曾祖母に、一度も感謝の気持ちを伝えることができなかったことをとても悲しく感じたことは確かだ。
 
 一昨年のことだ。僕のアドレスに一通のメールが届いた。それを読んで、僕は驚愕した。大学のサークルで同期だった女性が亡くなったというのだ。その女性とは3、4年ほど音信不通になっていたものの、卒業旅行に一緒に行ったグループの一員だった。

 通夜には大学のサークルの同期がたくさん参加していた。けれども、死の直前に彼女がどんな暮らしをしていたのか、そもそもなぜ亡くなったのか、みんなあまり知らないようだった。

 会場の遺影には、僕が知っている彼女と何も変わらない姿が映っていた。そういえば、大学を卒業してしばらく経って会ったとき、彼女は僕が当時公開していたウェブ日記を読んでくれていると言っていた。結婚した僕の新居に遊びに来たがっていたこともあった。結局は彼女が体調を崩していたこともあって、その話は消えてしまった。

 そんなささいな思い出が浮かんでは消える。もっとちゃんとまめに連絡を取っておくべきだったのかもしれない。せめて一回は新居に招いておくべきだった。人の死はいろんな後悔を呼び起こすし、それによって僕らが学ぶこともある。けれども、何も教えてくれなくてもいいから、とりあえず生きていて欲しいと思う。とりわけ、その人がまだ若いのなら。

 もう8年の前の、ちょうどいまごろのことだ。その時、僕はイギリスに留学する直前だったのだが、彼女も含めた数人の友人が僕のためにささやかな歓送会を開いてくれた。そのさい、僕は彼らから餞別として定期入れを受け取った。

 8年間使い続けた定期入れはいまも現役だ。もう革の色も褪せ、糸のほつれも目立つ。果たして彼女がそれに出資してくれていたのかどうかは知らない。だが、「死者からのプレゼント」を僕は可能な限り使い続けたいと思う。

 それが、曾祖母の死から僕が学んだ唯一の教訓なのだから。
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  by seutaro | 2008-07-07 01:13 | 日常

<日常>つわり

 イギリスの社会史研究によれば、20世紀初頭ぐらいまで、労働者階級の人たちのなかには、「つわり」は男にも発生すると信じていた人たちもいたようだ。

 「うちの旦那は絶対つわりよ。だって、最近、元気ないもん」

 なんていう発言が記録されていたりする。

 イギリスの当時の状況はさておき、妻がつわりになると夫の負担が大きく増えて、とても疲れるのは確かだ。とくに既に子どもがいるばあい、家に帰ってきてからのほうが仕事をやっているあいだよりも疲れるぐらいだ。

 というわけで、僕はいまけっこう疲れている。もちろん、僕自身はつわりではない。もう2ヶ月近くこんな状態なのであるし、そろそろ終わってくれると助かるのだが…。
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  by seutaro | 2008-05-31 08:44 | 日常

<日常>お正月

 なんだかあっという間に年が明けて2008年になってしまった。平成で言うとなんと20年。冗談なような気もするが、本当に昭和は遠くなってしまった。

 さて、この年末年始は、年末に友人一家と温泉旅行に出かけ、年始は実家に行くという結構ハードなスケジュールであった。昔は4人だった旅行がいまは6人。子連れの旅行はどうしてもフットワークが重くなるが、それでも楽しい旅行であった。

 元旦をだらだらと過ごしたあと、新幹線に乗り関西へ。神戸や京都をまわり、最終的に実家に落ち着いた。神戸では動物園に、京都に行く途中には遊園地に寄り、うちの娘に大サービスをする。遊園地ではキリンやカバ、おなかに赤ちゃんを抱えたカンガルーが楽しく、遊園地では娘が一人で乗り物に乗り込んでいく姿を見て、その成長に涙する。

 実家に戻って一番驚いたのは、実家の飼犬が急激に弱っていたことだ。夏に見たときにはそれほどでもなかったのだが、白内障になり、視力がほとんどなくなっているようだ。

 うちの娘はこの犬が大好きなので、近寄っていくのだが、その物音が怖いらしく、犬のほうが遠ざかっていく。娘がいくら「こっちおいで」といっても、全然寄っていかない。

 この犬が実家に来たのは僕が高校生のときなので、今年でもう18歳になるはずだ。僕は大学に入学するために上京して以来、ずっとこっちなので、この犬との付き合いは通算するとそれほど長くないのだが、やはり老いていく姿を見るのは寂しいものである。

 というわけで昨日、実家を出て、我が家に戻ってきた。なんだか遊びほうけていたようで少々気がひける。旅行先では家族が寝静まったあとに学生のレポートの採点なんぞをしたり、地味に読書をしたりしていたわけだが、今年はとにかく空いた時間をうまく使って研究をするようにしたいものである。
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  by seutaro | 2008-01-06 04:45 | 日常

<日常>ホームビデオの哀愁

 親バカな父親の姿がもっとも典型的に示されるものといえば、何か。それはビデオカメラを片手に我が子の姿を必死で追うその姿だろう。「ちびまる子ちゃん」に出てくるタマちゃんのお父さんは常に我が子のシャッターチャンスを狙っているという少々偏執的なキャラであるが、あれが現代であればカメラではなくビデオカメラになることは間違いない。

 それにしても、人はなぜ写真や映像で我が子の姿をそこまでして残しておきたいと思うのだろうか。子どもが出来る以前には、僕はそんなことを考えもしなかった。自分自身の写真の場合、それは過去の思い出を残しておくというだけの話でしかない。

 もちろん、子どもの写真や映像を残すというのも思い出を残すことが最大の理由である。けれども、自分自身の写真を残すのとは、ニュアンスがちょっと異なるように思う。

 子どもは日々、成長する。それは親にとってまず間違いなく嬉しいことである。小さい子どもはなにせ手がかかるので、さっさと何でも自分で出来るようになってほしい…というのは圧倒的多数の親の願いだろう。

 けれども、子どもの成長は他方において、寂しいことでもある。子どもが2歳になってしまえば、生後半年のその子には二度と会えないのだ。そして、悲しいかな、半年のときの子ども、1歳のときの子ども、1歳半のときの子どもに関する記憶は急速に曖昧になっていく。

 そして、子どもが10歳、20歳、30歳になったとき、たとえば「1歳のときのこの子にもう一度会いたい」との想いを少なからぬ親が抱くのではないだろうか。現に、2歳の娘を抱える僕は、10分ぐらいでいいのだが、生後2ヶ月とか、半年ぐらいのこの子にもう一度会ってみたい気がする。

 だからこそ、たとえ傍から見るとバカみたいであったとしても、親は必死で我が子の姿を残そうとするのではないか。10年後、20年後に、かつての我が子にもう一度再会するために。
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  by seutaro | 2007-12-03 02:04 | 日常

<日常>妹になりたい

 寝起きで機嫌の悪い娘がぐずりだした。最初、何を言っているのか、よくわからなかったのだが、どうやら、

 「妹になりたい~」

 と言っているらしい。

 いまのところ、一人娘であるわけだし、それはさすがに無理である。そこで、

 「お姉さんになるのじゃ駄目?」

 と尋ねてみる。だが、

 「いやだぁぁぁぁぁ」

 という返答。そこで、

 「お姉さんが欲しいの?」

 と聞いてみる。

 「いらなぁぁぁぁぁい」

 という返答。

 難しい、難しすぎるぞ、娘よ。
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  by seutaro | 2007-10-02 21:07 | 日常

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