<日常>連続テレビ小説

ひさびさの更新なので、リハビリ的に短く。

このあいだ、朝食を食べているとき、たまたまテレビでNHKの連続テレビ小説をやっていた。それが終わり、ニュースへと切り替わったとき、娘が一言。

「『つづく』って出てたのに、終わっちゃったよ」

文字も読めるようになって、いろいろなことが分かり始めたものの、まだまだ不思議や誤解の多い4歳の冬。
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  # by seutaro | 2009-12-29 11:18 | 日常

<日常>むかしばなし

 もうずっと昔のはなし。

 そのころ、僕はまだ大学生で、夏休みを実家で漫然と過ごしていた。とても暑い夏だった。テレビでは連日、観測史上~位といった最高気温が報じられていた。

 その夏の後半、僕には特に何の予定もなかったので、一人で旅に出ることにした。といっても、わずか数日の、ごく短いものだ。

 青春18きっぷを片手に、僕は電車でひたすら西へ向かった。車中では暇つぶしにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読んでいた。この小説は脱線が多く、ナポレオン戦争での地形の話や、パリの地下下水道がいかに複雑怪奇なつくりになっているかといったことが延々と論じられる。どちらかといえば、物語を楽しむというよりも、我慢大会的な書物だが、長い移動時間を潰すにはちょうどいい。

 とりあえずは萩で電車を降りる。さすがにもう夕方になっていたので、ユースホステルに宿をとった。

 翌日は朝から自転車で萩の街をうろうろする。最初に訪れた萩城跡は、ちょっとした山になっていた。山頂まで上り、さらに雑草の茂みをかきわけて行くと、萩の街が一望できる場所があった。

 そこから、萩の街や、その上に広がる見事に晴れ上がった空をしばらく眺めていた。生い茂る木の葉とその向こうに見える空の鮮烈なコントラストに驚く。

 近くには中学か高校があって、吹奏楽部が練習しているのか聞こえた。そのとき、僕は高校時代に吹奏楽をやっていたという知人の女性のことを思い出した。別につきあっていたわけでもないし、単なる友人でしかなかったのだが、高校時代の彼女を僕は知らないし、絶対に出会うことはできないことが少し悲しく思えた。

 そのあと、松蔭神社や笠山などをまわったが、行った先々でずっと東京でのことを考えていた。ひょっとしたら、僕は萩には全然関心がなくて、東京や実家から単に逃げ出してみたかっただけなのかもしれない。そのせいか、東京でのことばかり考えていた。どうにもうまくいかない人間関係や、何の特技も、何の取り柄もない自分、見当もつかない将来。ずっと自転車に乗っていたせいで、手の甲だけがただ日に焼けていった。

 萩での滞在を終えて、次の目的地に向かうべく駅まで歩いていた。途中、3歳か4歳ぐらいの男の子とそのお母さんがキャッチボールをしているところに出くわした。男の子の投げるボールはいろいろなところに飛んでいき、お母さんはうまくキャッチすることができない。何度もボールを拾いにいくお母さんの姿を男の子はやや不満気に眺めている。その二人の姿は、当時の僕には眩しすぎるほど美しかった。

 この旅で別に僕は何かを見つけられたわけじゃなかった。旅を終えて実家に帰り、さらには下宿に戻ったあとも、悶々とした日々が続いた。

 それから長い年月が流れて、僕はいい歳をしたおじさんになった。ぱっとしない研究者にもなり、ぱっとしない授業やぱっとしない論文の執筆のために時間だけがただ過ぎていく。

 それでも、夏を迎えるたびに、萩で見たあの木の葉の向こうの空と、キャッチボールをしていた母子の姿を思い出す。たぶん、それがぱっとしない僕の、ぱっとしない原点なんだろう。
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  # by seutaro | 2009-08-12 02:00 | 日常

<日常>教え子の就職

 不景気のせいで、学生の内定状況がよくない。

 去年はなんだかんだいって、だいたいの学生が複数の内定を持っていたのだが、今年は一つももっていない学生のほうがずっと多い。

 もはや悟りの境地に入ってきたのか、4年生なのにゼミにもよく出席するようになってきた。毎回、状況を聞いてみるのだが、ここしばらく良い話を聞いていない。

 彼らは僕の未熟なゼミ運営に我慢してついてきてくれたし(まあ、時に集団的に欠席することがあったが…)、気のいい連中なので、無事に就職を決めてくれることを切に願う。

 僕にものすごいコネがあって、「まあ、この紹介状を持ってどこそこへ行きたまへ。はっはっは」などと言えればよいのだが、そんなものはどこにもないのであった。
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  # by seutaro | 2009-07-07 23:56 | 日常

<学問>経済学がこの世から消えたら・・・

 FRBのバーナンキ議長が「敗北宣言」をしたとか話題になっていて、こんなエントリが人気のようだ。

バーナンキ氏のため息・・・俺の人生返せ!!
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/ca0d7c7179905fb7ba37900c5e56457f

 ただ、このスピーチをよく読むと、別にバーナンキ議長が経済学を全否定しているわけではないのは明らかなので、このエントリの妥当性自体がやや疑わしい。

 別に僕は経済学徒ではないので経済学を特に擁護するつもりもないし、その能力もないのだが、経済学は科学じゃない!統計はまやかし!直感が全て!とか吹き上がっている人は、ちと古いがとりあえず下のスレッドの>16以降を読むとよろしいかと思う。

経済学がこの世から消えたら・・・
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/economics/1118660552/

(追記)
 なお、正直に言えば、経済学をやっている人はときどき他の社会科学(とくに社会学)を露骨に馬鹿にすることがあるので、あまり好きではない。

 ただ、自然科学の権威に寄りかかって、さして深く勉強したわけでもないのに上から目線で幾多の研究者の苦労や苦悩を全否定しようとする輩はもっと好きじゃない。
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  # by seutaro | 2009-05-28 23:43 | 学問

<政治・社会>教育の矛盾

先日、職場からの帰りに同僚の先生と一緒になった。ゼミの運営の話などをつらつらと話していたのだが、そのうちに現在の社会状況における教育の意味というような話になった。

その先生いわく、受験勉強で頑張り、大学を卒業し、正社員として企業に入りこんでも、右肩下がりのこの日本社会ではそれが本当に幸せなことなのかわからないのだという。つまり、正社員であっても、長時間労働や低賃金に苛まれるこの時代に、学生(あるいは自分の子ども)を競争へと駆り立てるようなことをしていても良いのかという疑問だ。

加えて、分野にもよるだろうが、我々教員はしばしば教育の場で企業のあり方について批判を行う(僕もそうだ)。それが就職活動の時期になると、手のひらを返したように、その企業の尖兵となることを推奨するというのは自己矛盾ではないか、というのだ。

これと似たような話が、別の機会にもあった。それは学科のミーティングにおいて、将来の人材育成について話合っていたときのことだ。もちろん、大学の教員ごときにそもそも「人材育成」が可能なのかという話もあるだろうが、とりあえずその話は措こう。

そのミーティングでは、何人かの教員が人材育成のヴィジョンについて話したのだが、そのなかではもはや企業に入ってナンボという世界は終わったのではないかとの発言があった。つまり、これからはフリーランスで生きていけるスキルを身につけさせることが必要なのであり、極端な話をすれば、就職実績が0でも構わないのではないのか、というのだ。

要するに、これからの時代に学生を企業に送り込むことが本当に妥当なのかを疑問に思う大学教員がいる、ということだ。

ちなみに、上のミーティングで僕は、大学を出てそのままフリーランスになりたいという学生がいたら、すぐに就職課に行かせて正社員を目指すように指導すると発言した。

正直、僕はフリーランスの時代云々という発言に結構腹を立てていた。自分は大学教員という安定的な仕事に就いておきながら、指導する学生には極めてリスクの高い道を選ばせようというのか!それは無責任以外の何物でもないし、そういうことを言うならまずは自分が専任教員の職を辞するべきだろう。

確かに、正社員になれたからといって、それが幸せに繋がるとも限らない。僕と同じような30代、あるいは20代の人たちならなおさらそうだろう。しかも、正社員と非正規の被雇用者との格差を問題にするような発言を行うことの多い立場の人間が、自分の教え子には正社員を目指させるというのは、確かに矛盾と言えば矛盾かもしれない。

けれども、湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)などを読んだうえでなお、あるいはそうだからこそ、僕は自分の教え子や子どもには過剰なリスクを背負わせるようなまねをしたくない。彼らが最初から大きなリスクを背負い、人生に行き詰まったとしても、僕にはそもそも責任の取りようがないからだ。安定を重視させることで、彼らの才能の開花を妨げることになるかもしれない、という批判は甘んじて受ける。

格差の問題にしても、僕個人の力では社会構造を変えることなどできやしない以上、その格差のなかでどうすれば有利に振舞うことができるのかを一緒に考えることぐらいしか僕にはできない。パイが縮小していくとしても、政府や日銀にその縮小を出来るだけ食い止めることを期待しつつ、その小さくなっていくパイの争奪戦をいかに勝ち抜くのかを考える以外、一介の教員にいったい何ができるというのだろう。

教員の立場との矛盾ということで言えば、ウチダ先生流に「教員の矛盾が引き起こす葛藤のなかにこそ成熟はあるのだ」と思うしかない。企業を批判する目をもちつつ、企業に入って、その尖兵になる。もちろん、そんなややこしいことをするよりも、指示されたことに何らの疑問も抱かないようなソルジャー型の社員のほうがずっと楽だろうし、出世も早いかもしれない。

ただ、それでも、どこかの某人材派遣会社の経営者のような、あまりにも他者への想像力を欠いた人間を生み出さないためにも、そういう教育の営みというのは必要なのだと思う。

もちろん、それが上述したパイの争奪戦にとって不利に作用するとするならば、それすらもやめて大学の講義では企業社会の素晴らしさを説き、自己責任論を吹聴すべきなのかもしれない。でも、さすがに僕にはそこまで踏み込むことができない。中途半端、と言われれば確かにそうなのだけれども。
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  # by seutaro | 2009-05-08 00:29 | 政治・社会

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