<メディア>今さらながらホリエモンについて語ってみる

 もうあらゆるマスコミやブログで語りつくされているホリエモン。もうホリエモンの話はお腹いっぱいという人も多いだろうが、今さらながらにホリエモンについて語ってみたいと思う。
 僕がホリエモンの存在を強烈に意識したのは、やはりライブドアによるニッポン放送の買収工作だった。仕事がら「放送と通信の融合」にはそれなりに興味があり、関連するニュースをさかんにチェックしていたように思う。
 ライブドアとフジテレビの対決ということで言えば、僕はフジテレビ自体があまり好きではないので、最初はライブドアに肩入れしてニュースを見ていた。ホリエモンとは年が近いこともあって、世代間闘争という観点からもホリエモンに親近感を持っていた。 
 けれども、ニュースを追いかけていくうち、彼のメディア観にはどうにも納得できないものを感じるようになった。よく言われるように、彼は既存の「ジャーナリズム」なるものを根本的に否定していたわけであるが、その代替物に関する彼のビジョンの貧弱さは否定しようがなかった。事実、彼のメディア観に沿って出てきたのが、ライブドアPJなるものであるが、その惨状は方々で指摘される通りである。
 そして、僕がホリエモンのやり方について根本的な疑問を持ったのは、彼が衆議院議員に立候補したときであった。無論、ビジネスを進めていくうえで、この国の政治のあり方に根本的な疑問を持ち、そこから立候補を決意するというのであれば、何の問題もない。ただ、彼は立候補に際して、議員に当選したとしても会社経営は続けると明言した。この点において、僕は彼のビジネス観・政治観は根本的に誤っていると思った。
 彼はたしか、時間を効率的に使えば、二足のわらじを履くことは不可能ではないとか何とか言っていたように思う。しかし、もし時間を有効に使って、常人よりも短い時間で仕事が出来るのだとすれば、その余力をもビジネスまたは政治活動に注ぐべきではないのか。会社経営にせよ、政治家にしろ、他の人間の生活に大きな影響を及ぼす仕事である。そうした仕事を行う者には、全身全霊をそれに注ぐことが責務として求められるのであるし、それゆえの高給なのだと僕は思う。 
 無論、彼の衆院選の立候補は、ライブドアの知名度をさらに押し上げるための方策に過ぎなかったと見ることはできるだろう。だとすれば、それは選挙民に対する愚弄以外の何物でもなく、選挙という国政の重要な過程を会社のPR活動として利用したことになる。
 以上のことから、昨年の夏以降、僕はホリエモンの活動に対して極めて批判的であった。今回の騒動についても、僕は全然同情なんぞしていない。最近では、インサイダー取引の疑惑も持ち上がっているが、さもありなんといった感じである。

 というのが、今回の話の前置き(笑)である。そろそろ本題に入るわけであるが、今回の主要なテーマ。それは「放送と通信の融合」である。「融合」については、ホリエモンによるニッポン放送買収劇で多くの注目を集めるようになった。ただし、この「融合」自体は、結構昔から言われ続けていたことで、おそらく1980年代にまで遡ることが出来るはずだ。
 とはいえ、1980年代の「融合」がキャプテン・システムのようなぱっとしない技術を前提に論じられていたのに対し、現在の「融合」は3G携帯電話やブロードバンドのような高度な情報技術のおかげでかなりの現実味を帯びているとも言いうる。
 ここで、そもそも「融合」とは何を意味するのかという点について触れておこう。人によって定義がしばしば異なるため、議論がややこしくなることが多いのだが、ここでは単純に「通信ネットワークによって放送サービスを提供すること」及び「双方向的な放送サービスの実現」ということにしておく。前者の例を挙げれば、放送局や通信事業者によるネットワーク上での番組配信などがあるし、後者の例でいえば民放などが計画しているワンセグ放送とオンライン・ショッピングを組み合わせたサービス(現在のテレビ・ショッピングをより効率化したもの)なんかがある。
 話をホリエモンに戻せば、彼はおそらくライブドアのポータルサイトで放送用コンテンツの配信をやりたかったのだろうし、それとオンライン・ショッピングのサービスを組み合わせることも当然考えていただろう。
 けれども、僕はこの「放送と通信の融合」の実現可能性ということに関して、結構懐疑的である。とりわけ、ライブドアや楽天のやり方では、その小さな可能性をさらに小さくしているように思う。それはなぜか、というところで、続きは次回ということにしよう。
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  by seutaro | 2006-02-10 01:58 | メディア

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