<読書>芹沢一也『ホラーハウス社会』 1

b0038577_215022.jpg 新聞に毎日のように登場する犯罪報道。それらの報道には、しばしば「急増する凶悪犯罪」云々という表現が登場する。また、「体感治安」なる概念により、人びとの治安に対する不安感がどんどん増大していることも論じられる。
 しかし、統計的に見ると犯罪は急増していない。また、槍玉に挙げられることの多い少年犯罪については、以前のエントリで少年犯罪の増加を疑問視する声が多いことを紹介した。このエントリの後、さらにいくつかの文献を読んでみたが、研究者の大半は「少年犯罪を含む犯罪全般は急増していない」という点においてコンセンサスに達しているようだ。その詳細な分析に関しては、河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』が詳しい。河合によれば、ここ数年、犯罪はやや増加傾向にあるものの、決して「凶悪犯罪の急増」と言えるような状態にはない。
 にもかかわらず、犯罪者に対する厳罰を求める声は強まる一方である。それはなぜか。前掲の『安全神話~』では、かつては存在した犯罪多発地域(=繁華街)と一般居住地域との境界が曖昧になり、可能性としては決して高くないものの後者においても犯罪に遭遇する可能性が生じるようになったがゆえに、「体感治安」が悪化し、犯罪者に対する警戒感が増幅してきたのだというような説明が行われている。
 それに対し、芹沢一也の『ホラーハウス化社会』は、教育や治療による犯罪者の矯正というこれまでの日本における犯罪者への対処方法が大きく変化しつつあることを論じている。芹沢によれば、これまでの日本社会においては、犯罪者が一種の病人として捉えられ、それを矯正=治療することに並々ならぬ熱意が注がれてきた。芹沢は言う。「(少年:引用者)犯罪とはあくまで、保護すべき対象を発見するための『きっかけ』にすぎないのだ。」(p.30)
 ただし、こうした犯罪観は決して犯罪者にただ甘いわけではない。そのことを最も特徴的に示しているのが、少年法に見られる「虞犯少年」という発想である。虞犯少年とは、家出やいかがわしい場所への出入り等、法には触れていないけれども、将来的に法に触れる可能性があるという理由によって拘束される少年のことである。つまり、これは一種の「予防拘束」なのであり、法に触れる以前に少年を矯正しようとする姿勢の表れだと言いうる。
 ところが、芹沢によれば、このような犯罪観は近年において大きく変化しつつあるという。と、ここまで書いたところで、タイムアップ。続きはまた明日。
[PR]

  by seutaro | 2006-02-23 02:00 | 読書

<< <映画>ヒトラー 最後の12日間 <メディア>「クリエイター」の悲哀 >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE