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<歴史>「南京大虐殺」について(1)

さて、昨日は少年犯罪論争を例にとって、人は結局、見たいように現実を解釈する傾向があるということを述べた。少年犯罪という現在の事件ですら解釈が分かれるとすると、歴史の解釈をめぐる論争などは殆ど決着がつかないのではないか、という気すらしてくる。
そうしたもはや決着不可能な歴史論争の代表例が、「南京大虐殺(南京事件)」をめぐるものであろう。つい先日も、本宮ひろ志「国が燃える」というマンガが、「南京大虐殺」の描写が不適切だったとして休載することになるという事件が起こっている。
で、ここから先に話を進めるにあたっては、あらかじめ僕の見解を述べておいたほうがいいだろう。僕は、日本軍が中国大陸でろくでもないことをしたことは否定しようのない事実だと思っている。だから、日本軍は南京でも多かれ少なかれヒドイことをやったんじゃないだろうかと思っている。
が、他方において、そうした日本軍の悪行が中国側のプロパガンダによって誇張されていることもまた事実だと考える。ジグムント・バウマンは『社会学の考え方』(名著だが絶版のようだ)において次のように述べている(p.61)。

「外集団のメンバーに対する自分の残虐な行為が道徳的良心と衝突しないように思われるのに対して、もっと軽い行為が敵によってなされた場合には激しい非難が求められる。」

要するに、敵を100人殺せばそれは英雄的行為と見なされるのに対し、敵が味方を30人殺せばそれは卑劣な行為として見なされるということだ。実際、戦争プロパガンダにおいては敵の極悪非道さが強調されるのが常であり、そのことはサム・キーン『敵の顔』などによって論じられている。それゆえ、「南京大虐殺」が日本のイメージを悪化させるための絶好のプロパガンダとして利用されたということは十分に考えられるだろう。こうしたプロパガンダの影響もあって、1937年12月に南京で本当に何かあったのかを明らかにすることは極めて難しくなっていると言いうる。
そして、こうしたことから、結局のところ「南京大虐殺」をめぐる論争も、昨日述べた「主張→現実の判断」というレベルで行われることになっていく・・・。

と、ここまで書いたところで、またまた時間が厳しくなってきた。「ねじれ」の話はまた今度ってことで~。

  by seutaro | 2004-10-15 23:22 | 歴史

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