2006年 02月 22日 ( 1 )

 

<メディア>「クリエイター」の悲哀

 さて、ちょっと間があいてしまったが、「放送と通信の融合」についての話の続きである。
 前回、インターネット上での番組配信の難しさについて論じたが、著作権関係では動きがあったようだ。政府の知的財産戦略本部は、放送に認められている著作権法上の優遇処置をインターネット上での番組配信にも適用するよう著作権法の改正を提言しているのだそうな。そうなれば、とりあえず法的なレベルでのハードルはかなり低くなることになる。
 インターネット上での番組配信のその他のハードルとしては、放送免許の問題がある。現在、放送局は地域ごとの放送免許に基づいて放送を行っているわけだが、インターネットで番組配信をするとなると、そうした地域に基づいた免許の意味が殆どなくなってしまう。つまり、北海道の地方放送を九州で見ることも簡単にできるようになるわけだ。
 ところが、これが放送局にとっては大きな問題となる。なぜなら、そうなると地方局もキー局も同じ土俵で競争を行うことになるのであり、最終的に資本の豊富なキー局のみが生き残るという結果になりかねない。そうなると、地域色のある番組が制作されなくなり、日本全国で同じような番組ばかりが放送されることになることで、放送の「公共性」が失われてしまう・・・というのが放送局の言い分である。
 このような放送局の主張に対しては、当然のごとく、放送免許という「既得権益」を死守せんがための議論だとの声が上がることになる。せっかくインターネットという新しい技術が消費者に多様な選択の機会を与えることを可能にしつつあるというのに、その機会を放送局の既得権益のために潰してしまうとはケシカランというわけだ。
 この辺りの問題については、いろいろと言いたいこともあるが、技術的には特定地域内においてのみIP放送を受信できるようにすることも不可能ではないようなので、結局のところ既存の放送免許の枠内でインターネット上での番組配信も進められていくことになるのではないかと思う。1980年代の地域情報化政策以降、総務省(郵政省)において地域からの情報発信の拡大ということは政策課題であり続けてきたし、その流れに逆行するような動き(東京を拠点とするキー局の全国制覇)をお役所が容認する可能性はそれほど高くないと考える。
 以上をまとめると、結局、たとえIP放送が本格的に行われるようになったとしても、放送局はコンテンツの川上から川下までしっかりと握り、現在の体制をそれなりに存続させていくのではないだろうか。
 ただし、現在の放送局の体制には大きな問題がある。それは、放送局と番組制作会社との関係である。近年、放送局自身が番組制作を行う割合は低下しており、多くの番組が外部のプロダクションによって制作されるようになっている。『黒革の手帳』などを制作した共同テレビジョンや、『世界ふしぎ発見』などを制作するテレビマンユニオンなどがそれにあたる。
 で、しばしば言われるのが、放送局の従業員が高給をむさぼっているのに対し、番組制作の現場で働く人びとは薄給で奴隷のようにこきつかわれている、ということだ。力関係としては、放送局のほうが圧倒的に強いため、そのような構図が生まれるわけだが、理由はそればかりではない。一般に「テレビ番組の制作」などと言うと、非常に華やかなイメージがあり、若い人にアピールしやすいために、働き手を捜すことは難しくない。つまり、この業界の労働市場は圧倒的に買い手市場であるために、放送局はそうした「クリエイター」をいくらでも使い捨てに出来るのである。
 無論、番組制作会社の側にはそのような放送局の横暴に対する恨みつらみが存在しているのであり、インターネット上で流すためのコンテンツを捜している通信事業者がここら辺をつついてみると、放送局を中抜きにする形で新たなコンテンツ流通の形態を生み出すことが出来るかもしれない・・・などとも思う。もっとも、放送局側はそのあたりに非常にセンシティブになっているだろうから、場合によっては番組制作会社に様々な圧力をかけることも予想される。
 以上、「放送と通信の融合」という、僕にしては珍しくビジネス的なトピックを取り上げてみた。が、これだけだらだら書いてきてなんだが、僕のするビジネス話なんてのは、トリノ・オリンピックになぞらえていえば、フィギアスケートの選手がスピードスケートについて語るようなものでしかないので、まあ、話半分ってところで聞いてもらえればと思う。
 それにしても、ニッポン勢、メダル取れませんなぁ。
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  by seutaro | 2006-02-22 01:31 | メディア

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